未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十七回 絶対界 巻の三 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 其以上の研究は神となるにあらざればなすこと難し。教主と雖も其以上は語り給はざるべし。又語らずともその処迄認識する力備はらば、其にて天界のすべては明らかに知ることを得、又自由自在に往行することを得るによって、安楽境は求め得られて永久不変の居に、置るることは疑いなきなり テツシン貴尊講義

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絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係
第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係
            テツシン貴尊講義



 斯るまぎらはしき方面に諸子の心を引き入るるも、すべては空のはたらきなり。変化性絶対も不変性絶対に包和せられあるが故に、変化性絶対が現出せられ居るなり。変化性絶対は既に空の中に存在する、空の実在なり。故に空の相対も帰するところは、不変性絶対の流れによって働らかせられ居る事に留意せざるべからず。 変化性絶対変化性相対すべて不変性絶対の中にありて、空の実在化となり居る点より、空の中にも空の実在あることに気附かざるべからず。空しとの言葉は、無のなき迄の意味ならん。此言葉と雖も徹底したる無の言葉にあらず。何処迄口にすとも無きものはなしの連続となるのみにて、最後の終点を求むること難からん。無きもの無か、或は無と云ふ言葉なしの意味か、曖昧なる言語にして、俗言に云ふからつぽにすぎず。然して何もあらざると云ふに尽き居るならん。空の研究を進めなばあるものなしの点を、発見すること難きが故なり。諸子は絶対無とか、有を伴はざる無とか、称し居れど斯るものはあらざるなり。 何とならば斯るもののあるならば、無始終霊子もあらざる地点を作らざるべからず。 斯る処を如何にたづね求むるとも、無始終霊子なるが故に知ること難し。 無を伴はざる絶対無、有を伴はざる絶対有とは、即ち無言詞を指すの他なきなり。仮に是を絶対境と考ふるも差支なからん。もし其以上の処あるならば其は神に於ても是を応用なし給はざるべし。又神を措いては他に知るものもなからん。 又人類としてかかる処を探り求めんとなすの要もなからん。 無始終霊子を絶対として考ふれば、其にて神の世界をも知ることを得るによって、其以上追究して迄考察する必要はあらざるなり。 全宇宙は無始終霊子の備はりなるが故に、是を不変性絶対と云ふなり。 無始終霊子の不変性絶対の中に、変化性絶対のあらはれありとして考究せば、其以上の研究は神となるにあらざればなすこと難し。教主と雖も其以上は語り給はざるべし。又語らずともその処迄認識する力備はらば、其にて天界のすべては明らかに知ることを得、又自由自在に往行することを得るによって、安楽境は求め得られて永久不変の居に、置るることは疑いなきなり。

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