未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十九回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 親子兄弟の関係は即ち筋肉の筋に相当すと思はばうなづくところあるならん。是等はすべて教主の教へをまつべし テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています

絶対界
第十章
霊気と霊気の交はりに就いて
           テツシン貴尊講義



 諸子の語り居る言葉に有縁無縁と云ふことあらん。有縁とは融和性にして、無縁とは分解性なりと知らば可なり。例へば紙上に一線を引く。 是が融和性なるによって線となりて現はるれど、その線がもし分解性ならば線としての存在は認ること難し。此理は諸子もよく知るならん。一本の鉛筆にて白紙に文字を認むるとき悪き鉛筆ならば、文字は描かれずして明らかに見ること難からん。 是等は分解性に属するが、故なりと知るべし。 一本の線に於ても融和性と、分解性によって相違あるなり。諸子はこの事柄に対しても、紙と線との融和と誤解する勿れ。 紙に線の現れざるは、紙と線との融和するとせぬとにありと思はば、我等の意味とは異なるなり。我の語るは紙と線とにあらず。 線の明瞭不明瞭を指すなり。 線の不明瞭は持続を有せざるが故なり。是を分解性と云ふ。 線の明瞭なるを融和性と云ふと知られたし。 是を縁と云ふなり。紙と線との縁にあらず。 線の明瞭不明瞭を有縁無縁の区別と云ふなり。兎に角紙と線との縁は実は縁にあらず。 唯紙の上に線が乗せられたるに過ぎざるなり。縁と云ふはつながりなるが故に縁と云ふなり。故に線の明瞭不明瞭によつて縁も相違あることに心を止めよ。 もとより紙の上に線を乗せたるも縁の部類に属することは云ふ迄もなし。されどその縁は融和性にあらず。謂わば他人との交はりに過ぎざるなり。 線のつながりは即ち血族性関係の縁と見なさばうなづくところあらん。是等の事柄も信仰の上には重大なる意味を有す。故に参考として語りをくべし。
 諸子の肉体に備はりある筋肉の筋に、相当するものは引力性によって同種のものが結合して筋をつくる。 是縁の濃き故なり。肉是に伴ふは縁のうすきが故に稍もすれば分解する作用を有す。同じ肉体の中にありても分解性、融和性の相違あることに心附くならん。是等の道理は後に教主の語り給ふところによって明らかに覚ることを得ん。 親子兄弟の関係は即ち筋肉の筋に相当すと思はばうなづくところあるならん。是等はすべて教主の教へをまつべし。信仰とは唯引力を強くすることによって得らると知らば、拝みするに対しても従来の拝みと、今後の拝みとには必らずや相違あらん。 諸子の拝みは来れよと云ふにあらずして、去れよと云ふに等し。故に通せざるなり。朝には門戸を開らき、夕には閉すにてはあらざるか。 戸を開らくは来れよの意味にて、閉づるは去れよの意味ならん。この事柄より拝みの法を研究せば、引力圧力の関係も推して考案する道は開らかるる筈なり。されば拝みする時は来れよの拝みならざるべからず。拝みに対しては「末知日記」前書に示めしあることを参照せば可ならん。



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