未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十三回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 一枚の木の葉を仔細に観察し見よ。必らず同種のものはあらざるべし。一見同じものに見ゆれど、其を仔細に検討すれば、同じものは一としてあらざるなり。枝より幹に幹より根にかヘせば、如何なる関係となるや。諸子は此点に着目して己が修養の資料とせられんことを テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています

絶対界
第十章
霊気と霊気の交はりに就いて

             テツシン貴尊講義


 好むと好まざるは和合するものにあらず。是を縁なしと云ふなり。縁なき衆生は度し難しと仏書に認めあるはこの理なるべし。故に己の欲する方向に心をむけ居らば、是に対してその好むものと同化するものの来りて結合するは、縁の一大事にしてここに新らしき道のあることに心せよ。
諸子はつる草をつくりたる体験あるならん。つる草は彼方此方とのび行きて何か手がかりあらば其にからみてのび行き、更に又他に手をさしのべて己が欲する方向にのび行くにてはあらざるか。是を人工にて他に転ぜしめんとそのつるを他のものにからますとも厭ひて其ものを離れて、他の方向に転じ居る如きことの体験はあらざるか。魂なきつる草に於ても斯くの如く縁のある方向にのび行き居る事柄に徹しても覚る道はあるならん。 よく我等の耳にする俗言に縁は不思議なるものと語り居るを聞く。されど縁は不思議なるものにあらず。縁は不思議ならざるところにあるなり。空気は縁によって一体化なし居ると語りしことに対してよくよく考察して悟りを得よ。
 異国の人と信を厚うするも縁なるべし。其は人種の異なるに不拘霊気と霊気の縁が結ぶ事によって、つながれたるに過ぎざるなり。此事柄に対して我語りし汝の肉体を一枚の木の葉として考へよと教へしはここにその意味のあることに気附きしならん。 異国人の肉体と汝の肉体との相違は、恰も異なりたる木の葉の如し。されどその木の葉が枝より出でたるものとして考ふる時は、霊気とは木の葉を生ぜしむる枝に他ならずとのさとりは得らるる筈なり。 一枚の木の葉を仔細に観察し見よ。必らず同種のものはあらざるべし。一見同じものに見ゆれど、其を仔細に検討すれば、同じものは一としてあらざるなり。枝より幹に幹より根にかヘせば、如何なる関係となるや。諸子は此点に着目して己が修養の資料とせられんことを。空と実とは別個の如く取り扱はれ居れど帰するところすべては空なり。然して、空と実とをつなぐは即ち縁なるべし。縁を辿りて逆上れば空にかへり、其が反対の方向に向ふならば実となる事は是当然なり。縁を辿ればすべては一にして、不可分のものにあらずとのさとりは得らるる筈なり。故に縁は霊気と霊気を同化せしむる糊に等し。一個々々の細胞が区分され居る如く見ゆれど、それが縁によってつながる。されば縁とは引力圧力に相当するはたらきを有するものとして研究せば、離るるも縁なり密着するも縁となる関係もあるならん。 一個々々の細胞が、或はつながり、或は離るるも是皆摩擦のある故なり。全宇宙のものすべて同種のものならば其は絶対にかへるとき一つのものに結合されて、其以上のものを作り出す力を失ふに至るは是又理なるべし。されど始終なき全宇宙なるが故に、斯くも微妙なる素質を有し居るなり。 始め終りなき全宇宙の姿こそ即ち絶対と云ふなり。故に絶対の中に種々様々のものが作り出だされて、ここに相対関係のそなはりを有するに至りたり。是等の道理は教主の教へをうけよ。

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