未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百九十六回 絶対界 巻の三 絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係 手を打ちて唯声を発したるのみにて、何等の謝辞を述ふることもあたはざりしなり。 この境地こそ即ち真の絶対境と云ふなり。 諸子はこの理を知るや。汲めども汲めども尽きざる泉こそ実在の絶対なるべし。汲めども汲めども測り知れざる知慧こそ空の絶対なるべし。 テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています

絶対界 第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係
第一講 不変性絶対と変化性絶対との関係
                       テツシン貴尊講義


 成人聖者に問ふて曰く、絶対とは如何と。聖者庭の池水を指示して、絶対とは此池を指しその中に有する水も絶対なりと。 彼又訊ねて曰く、されば相対とは如何なるを云ふか。聖者曰く、池も相対にして水も相対なりと。彼更に問ふて曰く。されば何れに信を置くべきや。聖者曰く、汝の心のままにせよ。絶対と思はば絶対とせよ。 相対と思はば相対とせよ。是即ち絶対信なりと。 或人その意味の何なるかを知らず。されど重ねて是を追究する言葉も出でざるため余義なく黙したり。此時聖者その態度を見て彼に語りて、汝今心を動かし居るその姿こそ即ち絶対なりと。是を聞きて人手を打ちてさとりたりと云ふ例話あるなり。是等の理を諸子は如何に感ずるや。今此例話を更に縮小して考へ見る時、諸子は日々の生活に於て見る如く諸子の家には浴槽もあるならん。 又他に種々様々の器物も貯へあるならん。 是等はすべて完成したるものにてすべて皆絶対の姿なり。浴槽の全きものならば水は洩れずして人も容るる力そなる。故に全き浴槽は既に絶対の位置に置れたるものならん。是が損傷あれば水は保たれず。故に是等は相対関係となるなり。聖者が示めせし池も絶対なるが故に水も絶対となりて中に魚も踊る。故に水も絶対なり。池も絶対なりと教へたるなり。されど池不完全ならば水は保たれず。 水保たれずば魚踊ること難し。是相対なるが故なり。故に聖者は相対と教へしなり。 相対と感ずれば相対にてよし。絶対と感ずれば絶対にてよしとの教へも、この言葉によってうなづく処あるならん。 さりながら是等の説に関しては諸子は種々様々の方面より、又種々様々の疑問をなすならん。池は水を貯へんがための目的にて組織せられたるものなれば、完全に池となりて水を貯ふることによって、ここに池としての任務は果されたるなり。故に池の絶対は水を貯ふるにあるなり。浴槽に於ても同様なり。此種の類を名づけて変化性絶対と思はば可なり。即ち池は池の目的を達したるによって、其以上のものに化せられることあらざるが故に、変化性絶対と云ふなり。斯く語らば諸子は思ふならん。是は不変性絶対なるかとの疑問なるべし。さりながら其は然にはあらざるなり。 是等は池として一時的のものにて他に化せらるれば池としての姿を変ゆるが故に、一時的の絶対となるのみ。 姿変われば他のものに変ず、故に変化性絶対と云ふなり。人間は人間として終らば是等は一時的絶対に置れて、更に人間を離れて他のものに変化す。故に人間と云ふ名称は一時的絶対にして、是等も変化性絶対に属すと知らば可ならん。此比喩よりすべてを考ふれば、絶対より絶対へのつながりとなるならん。更に又他方面より考究せば相対より、相対の関係とも考ふることを得るなり。故に聖者も池も絶対、水も絶対、更に見かたによりては池も相対、水も相対の関係あるによって、何れに信を置くも可なりと教へたり。されど真の絶対とは如何なるものを指すならんと、或人が考へて迷ひたれど問ふべき言葉を知らず、唯沈黙してありし姿を見てその思ひの境地こそ、真の絶対なりと聖者は語りしなり。是をさとりたるが故に、手を打ちて唯声を発したるのみにて、何等の謝辞を述ふることもあたはざりしなり。 この境地こそ即ち真の絶対境と云ふなり。 諸子はこの理を知るや。汲めども汲めども尽きざる泉こそ実在の絶対なるべし。汲めども汲めども測り知れざる知慧こそ空の絶対なるべし。

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