未知日記霊話集千四百三十六回 大霊界 空の研究と実の研究 その9 当事者は唯心魂を打ち込みて研究なし居る間こそ、真の幸福を味ひつつあるなり。それが完成したる時、唯刹那の喜びあるにすぎず。ここに空と虚の一大事はあるなり。諸子はよくよくこの空虚論に対して、深く追究して考察工夫せんことを 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                         NO121      空の研究と実の研究      その9 教主寛大 講述  余事兎に角汝等衆人の中には人魂と称する怪火を見たるものあらん。この怪火が空に属するか、虚に属するかを考へ見よ。是を学理的に説明するならば、空より実に化せしめて研究するにあらざれば、その真を知らしむること難からん。されど諸…

未知日記霊話集千四百三十五回 大霊界 空の研究と実の研究 その8 人として人を知らず。動物性にて過し居らば、クゥワオの如く智慧才能すぐれたりとて何等の価値もなし。泰岳の如く愚者と称せられて疎んぜらるるとも、動物性を離れて人間性にてすごし居らば、天界に引き上げられ、又一婦人のきく女が卑賤の身に不拘、人間性をはたらかせて生涯を幸福なりとして終りしのちに於ても、天界に移されて今は安楽なり。然して彼女は今は真の幸福を得て安らかに任務に服し居れり。故に彼女は肉体を有する間より今に至る迄、幸福の一路を歩みたる真実の幸福者なりと見るも可ならん。是人間性なるが故なり  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                         NO120      空の研究と実の研究        その8                                                    教主寛大 講述  人として人を知らず。動物性にて過し居らば、クゥワオの如く智慧才能すぐれたりとて何等の価値もなし。泰岳の如く愚者と称…

未知日記霊話集千四百三十四回 大霊界 空の研究と実の研究 その7 九流界の人間は、クゥワオを奴隷の如く使用する程度迄、智識をそなへ居るが故なり。九流界の小児とクゥワオとは雲泥の差あるによってなり。クゥワオは汝等の世界に至らば神として仰がるるならん。九流界に於ては奴隷の如く取り扱はれ居るを知るならば、汝等諸子は九流界の小児を神以上の神として敬慕するならん。九流界の小児と雖も人間の向上したるものなれば、汝等諸子も軈てはこの居に達することを得るは、火を見るよりも明らかなる事実なるべし  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界        巻の三                         NO119       空の研究と実の研究    その7                                                    教主寛大 講述  汝等諸子の世界の事柄すべては、九流界のクゥワオと云ふ動物に於てすら、是等の事柄を認識なし居りてあます処なし。クゥワオは…

未知日記霊話集千四百三十三回 大霊界 空の研究と実の研究 その6 厳戒の辞とは 我等の教ゆる厳戒の辞は口に出さずして、心にとなえよと教へをきしも空、虚一体なさしめんがための方便にして、心に称へ魂に称へ霊に通ぜしむることの、一大事を教へんとして斯くは語りたるなり。されば口に出すもよし。されど虚(から)言葉となすなかれ。思ひあまりて思わず口外する底の処迄到らしめずば通ずるものにあらず。念仏題目に於ても亦同様の関係あるなり。文字言葉に囚われることなかれと云ふはこの理なり。即ち厳戒の辞は光に化せしめんとせば光となり。温度を保たせんとせば又保たすことを得ると承知せよ。即ち自由自在の思ひを通ぜしむる簡単なる方法なりと思ひて、常にこれを忘れず怠らずなすべし  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                          NO118        空の研究と実の研究       その6          厳戒の辞                                      教主寛大 講述 最重要のテ-マです  他力の念仏自力の題目等は、一方的にして通ぜずと語りしに対して厳戒の辞は自他一如の法なれば、…

未知日記霊話集千四百三十二回 大霊界 空の研究と実の研究 その5 厳戒の辞とは 厳戒の辞即ちチ、シュ、キュ、ジョウ、ギョウ、コウ、フク、セン のわずか十六音程に含まれ居る無言詞の法力は、如何に偉大なるかを知ることを得るならん。もし是を知らずば知る迄称へよ。然することによって優れたる法力は汝等のものとならん。慈音がミキョウに導かれて我講義を聞きたる時、千国人はおろか億国人も集まり居たるなり。 然るに語りし我は一人なりしに不拘、全部の者に通ぜしめてあますことなかりし点より見るも、無言詞の感応は如何に勝れたるかは察するを得るならん  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                          NO117        空の研究と実の研究       その5          厳戒の辞                                      教主寛大 講述 最重要のお話 幾度も幾度もお読みください  兎に角空の力が種々様々の作用をなすによって、汝等の智慧は増減変化なす…

未知日記霊話集千四百三十一回 大霊界 空の研究と実の研究 その4 何を以て天職天分を定めんとするや。又その天職天分によって目標の重点を如何なる処に、をくべきかを研究するには、如何にすべきかの考へを起さざるべからず。然せざれば天職天分を全うしたりとは云ひ難し。余りに話が広大となりたるため汝等諸子はここに至って、又新しき段階に移されたるなりと思ひて、此後の研究こそ実に大切なる教訓なりと思ひて、聞くの必要に迫られたるなり 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO116            空の研究と実の研究   その4                                                      教主寛大 講述  未知日記前巻に於てすべてを我なり。すべては我がものなりとして、一切平等の念を深くせよと教へしも是なり。天より架せ…

未知日記霊話集千四百三十回 大霊界 空の研究と実の研究 その3 小さき肉体を小さしとして考ふることなかれ。小さき肉体を全宇宙として信仰の度をたかめよ。然らずば如何に我言葉を耳にすとも、心底迄到達するものにあらず。我を小さしと考ふることなかれ。願はくば、我は全宇宙なりとの心に化せよ 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO115 空の研究と実の研究   その3 教主寛大 講述  古来より優れたる智者学者は偉大なる功績を残して、虚となりて今は其影なけれど、残しをきたる功績は今尚持存しあるにてはあらざるか。彼等は虚となりて空を残したるなり。 空なるものは永久に存在し、虚はその裏面に影となりて従ひつつ是又尽きず、不滅の一…

未知日記霊話集千四百二十九回 大霊界 空の研究と実の研究 その2 汝等の国日本は戦争の悲惨時なりしを悔いて武器を捨てたり。然るに今や又も武器の要ありとして国土防衛のためなりとか称して、再び思ひを変ゆるの止むなきに至りたる如きは、我等に云はしむれば実に愚なることかなと慨嘆するの他なし。恰も昔の武士(もののふ)が世を捨てて出家し、その出家が再び還俗して、又も戈(ほこ)をとる武士に立ち返るに等しからずや。然してその最後は己、自刃して命を終ると同様の結果となるは、昔の例に徴しても明らかならん 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO114 空と実の研究        その2 教主寛大 講述  見よ、汝等衆人の世界は光気素のはたらき強きが故に、斯くも名伏すべからざる混乱を誘発なしつつあるなり。建設せんとして却って破壊より破壊へと、益々破壊の方向に陥りつつあることは日々の報道によって見るも明らかならん。是建設せんがための破壊が、…

未知日記霊話集千四百二十八回 大霊界 空の研究と実の研究 その1 我等はその空なる事の研究をなして、天界をきはめたるが故に是を知る。故に唯事実を事実として語るに、躊躇せざるなり。  汝等衆人信じて迷ふことなかれ。されど我等をはなれて他に道を択ばんとする者は、我等の言葉を信ぜずとも可なり。我等に来らんとするもののみ是を信じよ。我等は決して諸子をあやまたしむることはなさざるなりと誓ふ者なり。我等は諸子を愛す。されど諸子は我を愛せざるが故に、一体化することは得ざるのみ。されば我等諸子を愛する如く、諸子も我を愛せよ。然して一体化することによってすべては解決するならん  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO113 空の研究と実の研究   その1 汝等、我をたづね来たらば、我は面会謝絶するものにあらず。必ず会ふべし 教主寛大 講述  我等の指導(みちびき)は空に対しての教へにして、実に対しての教へにあらず。ここに汝等衆人の考へと我等の指導とには、相違の点尠からずあるなり。科学の力によって研究するならば…

未知日記霊話集千四百二十七回 大霊界 疑は信仰の門 その5 神を恋するは神を招くなり。人間同士の恋は成立することもあり、成立せざることもあれど、神に対する恋は必ずや成功す。汝等諸子は神に恋しては如何、神に恋するは即ち信仰なり。人間同士の恋は片思ひと云ふことあれど、神への恋は片思ひはあらざるなり。必ず成功す。即ち思ひと思ひは空なるが故に、同化するなり。神の思ひは空なり。汝の思ひが空ならば忽ち同化す  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO112 疑ひは信仰の門     その5 教主寛大 講述  己、初めより知らざることは教へを受けて是を学び、理解することを得て、ここに初めて満足することを得るは一般の習性なるべし。知らざることを知らんとするには、己自らの心より創作して我物となすことは容易のことにあらず。是等の事はすべてみな迷ひに属す…

未知日記霊話集千四百二十六回 大霊界 疑は信仰の門 その4 内外一体の拝みとは自他一如の拝みを云ふ。外を求むるにあらず。又内を求むるにあらず。内外一体となりて拝みをなすなり。  所謂一心と云ふは内外を一体化せよと云ふ意味なれば、その心して一心を乱さず、常に拝み居らば可ならん  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO111 疑ひは信仰の門     その4 教主寛大 講述  疑ひの心は信を得んが為の疑ひにあらざれば、正しき信を得ること難し。嘲りの心もて疑ふは信の門にあらず。汝等衆人の疑ひの多くは信を得んが為の疑ひにあらずして、嘲りの心もて疑ふもの多かるべし。嘲りの心は自我心を強くするにすぎず。信を得んが為の疑ひ…

未知日記霊話集千四百二十五回 大霊界 疑は信仰の門 その3 彼は慈音を愛してこだま会にはかかさず慈音に至りて、無言詞を送りて指導をなし居れど、姿を現はすにあらねば、会員の人達は別段意中に止め居らざれど、会員に与へ居る無言詞の力は実に尊し。こだま会の会員こそ仕合者なり。円海は言葉を以て会員を導き、泰岳は無言詞にて彼等を導く。世の中に種々様々の宗教あれど、こだま会程大なる力もて育てられ居る会は類稀なるべし  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO110 疑ひは信仰の門     その3 教主寛大 講述  彼(泰岳大師)は身心の人にあらず。魂霊の人にして無言詞を聞く力の備はりたるによって、幼き時よりたえず天界を観望し、然して大自然に順応して唯々拝みを持続し居たるなり。既に彼は肉体を下界にをき、その他のすべては霊界の人なりしなり。さればこそ師の許…

未知日記霊話集千四百二十四回 大霊界 疑は信仰の門 その2 世に賢者と云はるるものにして、地獄に転落するもあるなり。地獄に転落するものの中には、智者と云はるるもの多し。却って愚者の多くは天界に引き上げらるるものきはめて多し。賢者は己の智慧に誇りて信仰の力を、粗略になし居る結果却って転落す。世に聖者と云はるる人は、智慧と信仰を一体化したる人を、名づけて聖者と云ふなり  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO109 疑ひは信仰の門     その2 教主寛大 講述  すべては信仰なり。信の力は強し。一旦かくと思ひたちたる事は為し遂ぐる迄は、屈せず弛まず行ふにあらざれば、成就するものにあらざる事は云ふ迄もなからん。信じ難きものを信ずると雖も、信ずると云ふ事に於ては変りなし。事の如何に不拘、信ずる力の強からん…

未知日記霊話集千四百二十三回 大霊界 疑は信仰の門 その1 信を得んがための疑ひは既に信ぜんがための疑ひにして、所謂信に属する迷ひの一種なれば帰するところは信に属す。疑ひに疑ひを重ねてその疑ひ全く晴れて初めて信に化せられることもあらん。故に初心者は先輩者の指導を受けて是にすべてを任せ、然して信を厚うすれば成就は速からん。是即ち他力信仰と云ふなり。己に求めて己より道を得んとするは自力の信仰なるべし。自力の信仰は危し。されど自力の信仰と雖も確定したるものを認識把握して、其によって迷はずば結果に於て正しきを得るなり。兎に角信ずると云ふことの一大事は是等によっても明らかならん  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO108 疑ひは信仰の門     その1 教主寛大 講述  すべて人の心は何事に不拘、疑ひ晴れて初めて信を得らるるものにて、初めより信ぜられるものにあらず。故に疑ふ心のあるは最早信仰の門に入らんとするによってなり。信疑の心なきは、その事柄に対して無関係なるによって別段信疑の必要を感ぜざるが故に、其れに…

未知日記霊話集千四百二十二回 大霊界 信仰の力 その8 人はすべて安楽より安楽へと、安楽を追ひ求めて世渡りするは一般の習性なり。所謂体力弱き人の姿を是になぞらへたるならん。人生の一代はたとえ苦くとも、最後の安楽を求めて動ぜずば最後は、安楽の境涯に入ることを教へしは、足弱の人を喩えたるならんと思ひて信仰の方法を考へ見よ。さらばうなづくところあらん。空しきお伽噺と聞きのがすこと勿れ  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO107 信仰の力        その8 教主寛大 講述  大空に数多の星散在しあるが故に、砂漠を歩むも迷はざるなり。すべて道を知らしめんが為に、種々様々の方面に於て各所々々に、一定の備はりたるものを作りあるによりて方向は定まる。定まりたる方向に足を向れば、目的の地に達することは得らるるなり。空の中に…

未知日記霊話集千四百二十一回 大霊界 信仰の力 その6 されば若き壮年期より肥料を吸収し居らば、老ゆるも淋しさなど感ずるものにあらす。故に信仰に入らんとするもの小児時代より信仰を得せしむるにあらざれば生涯稔りの得られざるは是又当然なるべし。故に小児時代より信仰の道を得せしめをく事の大切なるは察する事を得るならん。親として子を育つる任務の最も大切なる事は、信仰を得せしむる事の如何に大切なるかは、是等の理によっても明白なるべし  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO105 信仰の力        その6 教主寛大 講述  藁を作りて、世の中はなりたつものにあらず。斯る事の多き時は餓死者の数多出でて修羅の巷となるならん。真に憂うべきことなり。作物の増収をはかりて年々豊作ならざるべからず。其が不作にて食足らざれば、多くの人の餓死するは当然なるべし。我等は年々増収を…

未知日記霊話集千四百二十回 大霊界 信仰の力 その5 かかる生活をなして肉体を空しく捨てたる人が、真の幸福者なりと思ふや。彼の人は若き時ははたらきて老後を安楽に送りたり。彼こそ真の幸福者なりとして衆人は羨ましく思ひ居るならん。是を我等の眼より見る時は実に哀れなる者なりと云ふの他なきなり。斯る者は肉体の一生を考へて、心魂の何なるかを知らずして世を終りたるものなるが故に、肉体滅後は苦み多し。所謂動物性生涯を全うしたるが故にすぎざるなり  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO104 信仰の力        その5 教主寛大 講述  此理を応用したるものは催眠術とか、感応術とか称するものの方法として使用なし居れど、この理を知りたるものには暗示は効を奏せざるなり。何となれば、その燭を受けても点火せずして捨るがゆえなり。常識そなはりたる者と雖も、その燭を受けて捨てず、点火せば…

未知日記霊話集千四百十九回 大霊界 信仰の力 その4 我等の教へをることは衆人に対して燭を与へ居るにすぎず。その燭を受けて是に点火せば、明らかに道は照らさるべし。信仰とは己が心暗きが故に、光を求めて心の暗きを照らさんとすることを、信仰と云ふなり。念ずると云ふは燭のすぐれたるものを得んが為の念なり。拝みと云ふはその念によって作られたる燭に、点火する方法にすぎず。さとりと云ふは光明を得て、迷はざる底に化せらるるにあらざれば、真の覚りとはならざるなり 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO103 信仰の力        その4 教主寛大 講述  霊には霊の音響あり。魂には魂の音響あり。心には心のひびきあり。肉体又同様なり。されば信仰に入る人は肉体信仰より、心の信仰更に魂、はては霊に迄及ぼす信仰ならざるべからず。肉体信仰を基礎として考ふる時その信仰が誤またば、心魂霊に及ほす影響はすべて…

未知日記霊話集千四百十八回 大霊界 信仰の力 その3 石と雖もみがき居らば鏡の如く光を放つ。是信仰の力なり。故に信仰は念なりと思ふも差支なからん。誤りたる信仰をなす人は石を研くに等し。正しき信仰者は玉を研くと思はば、正信誤信の結果は判明するならん。石をみがきてたとえ光を放つとも、玉の光に、比ぶべくもあらざるならん 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO102 信仰の力        その3 教主寛大 講述  信仰とは智慧にもあらず。学問にもあらず。又常識の如何にもあらず。即ち念なり。されば信仰のはじまりは、ものを磨く布の如しと教へ居る指導者もあるなり。信仰は正邪の区別なく何れにもあれ念ずれば必ず通ず。信仰のはじまりは不確定が次第に確定となりて現は…

未知日記霊話集千四百十七回 大霊界 信仰の力 その2 もし汝等にして我を信ずるならば我の名をよべ。テッシン。セイキョウの名をよべ。又ミキョウ。円海を信ずるならば彼等の名をよべ 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO101 信仰の力        その2 教主寛大 講述  例へば汝病にかかりたる時、医者を招くは其医師によって、己が病苦を治癒することの信あるが故ならん。もしその招きたる医者が信ををくに足らざるものならば、彼よりおくらるる薬石は効果うすし。その理より信仰と云ふことに対して考へを廻らし見よ。信ずる医者…