未知日記霊話集千四百二十四回 大霊界 疑は信仰の門 その2 世に賢者と云はるるものにして、地獄に転落するもあるなり。地獄に転落するものの中には、智者と云はるるもの多し。却って愚者の多くは天界に引き上げらるるものきはめて多し。賢者は己の智慧に誇りて信仰の力を、粗略になし居る結果却って転落す。世に聖者と云はるる人は、智慧と信仰を一体化したる人を、名づけて聖者と云ふなり  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                         NO109
疑ひは信仰の門     その2
教主寛大 講述


 すべては信仰なり。信の力は強し。一旦かくと思ひたちたる事は為し遂ぐる迄は、屈せず弛まず行ふにあらざれば、成就するものにあらざる事は云ふ迄もなからん。信じ難きものを信ずると雖も、信ずると云ふ事に於ては変りなし。事の如何に不拘、信ずる力の強からん事を、我等は願ふものなり。信ずる力と智慧とを混同する勿れ。信不信の心は智慧の如何に不拘、すべての人に授けられ居るものなれば是等の二種を一体化して働かす事によって、初めて確定信仰となり、又不確定信仰ともなる。確定不確定は智慧によって定まる。されど信仰と云ふ力は智慧の如何によるものにあらずと知るべし。我かく語らば衆人は云ふならん。愚者は惑へど賢者は惑はずと云ふにてはあらざるか。されば信仰は智慧ならざるべからずと。尤もなる質問なり。されど信仰とは智慧の有無に不拘、誰にも有するものにて賢者には賢者の信仰あり。愚者には愚者の信仰あり。賢者は智慧を働かせて確定信仰をはかり、愚者は智慧うすきによって何れが確定か不確定かを知らざるが故に迷ふのみ、信仰と云ふに変わりなし。即ち確定信仰によって正しきを求むるが故、賢者は惑はずと云ふなり。是等は智慧と信仰とを一体化せしめたる結果に他ならず。信仰と智慧とは別れ居れど一体化せしむる事によって、確定ともなり不確定ともなると承知せよ。賢者と雖も信仰の力鈍ければ愚者に及ばぬこと多し。さればこそ泰岳の如く愚者と云はるるものにすら、天界をきはめたる者もあるなり。世に賢者と云はるるものにして、地獄に転落するもあるなり。地獄に転落するものの中には、智者と云はるるもの多し。却って愚者の多くは天界に引き上げらるるものきはめて多し。賢者は己の智慧に誇りて信仰の力を、粗略になし居る結果却って転落す。世に聖者と云はるる人は、智慧と信仰を一体化したる人を、名づけて聖者と云ふなり。智慧と信仰は車の両輪の如しと思はば可ならん。何れが欠けても回転するものにあらず。我斯く語らば、泰岳の昇天は智慧の欠け居りしは一方的ならずやと詰問するならん。我先に語りし如く汝等衆人の世界の常識学問は、天界に通ぜずと語りをきしは是なり。我の云ふ聖者とは天界を知る学者を云ふなり。故に泰岳は汝等の世界にこそ、愚者と云はるる人なれど、天界より見る時は彼は愚者にあらず。聖者なり。故に昇天したるなり。

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