未知日記霊話集千四百三十回 大霊界 空の研究と実の研究 その3 小さき肉体を小さしとして考ふることなかれ。小さき肉体を全宇宙として信仰の度をたかめよ。然らずば如何に我言葉を耳にすとも、心底迄到達するものにあらず。我を小さしと考ふることなかれ。願はくば、我は全宇宙なりとの心に化せよ 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO115
空の研究と実の研究   その3
教主寛大 講述



 古来より優れたる智者学者は偉大なる功績を残して、虚となりて今は其影なけれど、残しをきたる功績は今尚持存しあるにてはあらざるか。彼等は虚となりて空を残したるなり。
空なるものは永久に存在し、虚はその裏面に影となりて従ひつつ是又尽きず、不滅の一路を辿りつつあるを見るに徴しても、空の力の偉大なることは察せらるるならん。故に学者は学によって死せず。智慧者は智慧によって死せざるべし。悪人は悪の空を残し、善人は善の空を残す。善悪の行為に於てすら、空の力の優れたることに思ひを致さば、修養修行によって悟したる空の力こそ、大切なる事は云ふ迄もなからん。
 空の研究は迷はざる空を知るにあらざれば、虚となりて目的を達することあたはず。空とは覚りなり。悟れば一如の境涯に変じて空に和す。故に迷はざるなり。迷ふは虚なるが故なり。空は広きが故に限度なし。限度なきが故に真の自由は得らるるなり。空はたとえ広くとも自由を得て、その自由の一路をたどりなば迷ふことはあらざるなり。空を広しと見て目標を、定めざるが故に虚となりて迷ふ。汝等諸子は広き処に至らば、方向を定むるに汲々として、かれ是迷ふは是虚なるが故なり。されど如何に広き処に至ると雖も、目標定まり居らば広き狭きの如何を問はず、迷ふことはあらざるべし。目標を定めよと云ふは覚りを得よとの意味なり。現今の如く飛行機にて自由に空路を航行して、到るべき処に到着し居るは是さとりたるが故なり。一定の空路を定めて其によって迷はずば、如何に広き処なりとて自由に目的は達せらられることは明らかならん。空路を定むるも空中の広きによって、自由を与へられ居る故なりとの考へより、すべての空に対して考慮せば、自ら道は開らかるべし。
 是等は汝等が世界を例として語りたるにすぎず。我の教へんとする処は斯る一部分を指すにあらず。全宇宙の備りより、空の大事を語らんがための方便にして、汝等が世界の如き小部分を、空として語り居らざることは、今後我の語る処を聞くにあたつて参考としてさとりを得ば可ならん。五大鏡八大門の大意を知らんとせば、先づ汝等の世界の空より、次第に智慧を延長して推考せよ。汝等の世界を汝等の肉体と考へて研究せば、大同小異なるによって道は自ずと開らかるべし。さとりは近き処にあるなり。遠きを求むるに及ばず。所謂汝等の肉体は全宇宙を知るに便ならしめたる具備を有し居るによってなり。されば己を小さしと見ず、全宇宙の一員として考へを延ばしなば、やがては大なるさとりを得て全宇宙を迷はず、目的の処に到達せしめらるることを得るは明らかなり。全宇宙を我がものとせば、即ち汝の肉体は全宇宙となる。我肉体を全宇宙に化せしむれば、全宇宙は遠きを求むるの要なし。我即ち全宇宙なりと云ふ大なるさとりを得ば、其にて目標は定まる。大悟せよ。五大鏡八大門はすべて汝等の肉体にそなはり居るなり。この五大鏡を八大門を応用して其によって歩を進めなば迷ふことはあらざるなり。要は五大鏡八大門を我肉体にとりて如何なるかを推考せば、其にてさとりは得らるるなり。他を求むるの要なからん。汝等が心ここに至らば我等の教へは、汝等の智識の程度にまかせて導きをなす故に、汝等は迷はざるなり。小さき肉体を小さしとして考ふることなかれ。小さき肉体を全宇宙として信仰の度をたかめよ。然らずば如何に我言葉を耳にすとも、心底迄到達するものにあらず。我を小さしと考ふることなかれ。願はくば、我は全宇宙なりとの心に化せよ。

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