未知日記霊話集千五百八十三回  帰途案内記 NO2 世人は父母に導かれて今は下界に生存なし居るなれど、軈ては帰途につかざるべからず。来りし時は父母の案内なりしも帰る時は一人淋しく歩みを運ばざるべからず。されば世人は誰を案内者として帰らんと思ふや。汝の父母は既に帰るべき所に去りたり。汝はそのあとを慕いて帰らんと計るとも、既に父母の姿は見えざるべし。誰を頼みて道案内となすや セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 2
セイキョウ貴尊 講述


 神は愛なり。神は慈悲なり。衆生は皆赤子の如し。強き言葉を現はせば彼等は遠ざかる。又余りに甘き言葉を用ゆれば又も心に傷き、却て神を疎んずるに至る。衆生は斯くの如き姿なるによって深く注意せざれば、帰途を案内なすうちに迷児となりて見失ふことも多かるべし。一人にても迷児をつくるべからずと教主の命なり。斯く命ぜられたる我等の責は重し。我等時速十八万里と題して語らんとなせし時、教主仰せらるるには、是を秒速に計算し見よ。僅かに秒速五十里となるにてはあらざるか。宇宙の運行は斯る狭きものにあらず。もとより時間空間数を有する下界のものが、秒速五十里と聞かば誇大に感ずるならんも、事実は然らざることを知れる汝(セイキョウ)にして斯る演題を掲ぐるは宜しからずと仰せられたるにて、世人の耳に強く響きたる演題ならんと思ひしは、我、セイキョウの過誤なりし事をここに懺悔して更に話を進むることとせん。
 世人は天国と云へば星の散在するところを聯想し、地獄と云へば自らが住み居る地球の姿を想像して、彼是思慮を廻らすによって、天国の広大さに思ひを廻らして安楽の所ならんと恋ひ慕ふは、是又大なるあやまりなり。星の数多散在する所は世人の思ふ如き安らかなる所にあらず。世人の世界より星の散在する所を望遠鏡にて観望すれば、一見美しく見ゆれど、其は平面的に観察なし居るにすぎずして、もし飛行機の便をかりて自由に天界を駈け廻ることを得ば、危険極りなき所なるに遭遇して、斯る危き所はあらずとして一驚するならん。是等の姿は順次語り聞かすべし。我等の世人に対して語らんとするところは、永久安らかにしてきはめて楽きところに導かんと尽力なし居ることを諒として聴かれたし。
 世人は父母に導かれて今は下界に生存なし居るなれど、軈ては帰途につかざるべからず。来りし時は父母の案内なりしも帰る時は一人淋しく歩みを運ばざるべからず。されば世人は誰を案内者として帰らんと思ふや。汝の父母は既に帰るべき所に去りたり。汝はそのあとを慕いて帰らんと計るとも、既に父母の姿は見えざるべし。誰を頼みて道案内となすや。

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