未知日記霊話集千五百八十二回  帰途案内記 NO1 我、はじめ自在論(未知日記)を講じてより既に五周年に及ぶ。然して世人に語りたる言葉によって与へたる教へは汝等に幾何の利益を与へしか。又是と反対に幾何の不利益を与へしかは計り知るよしもなし。されど我等は尽す限りは尽したれど導きの力乏しきが故に、一段の進歩を見るに至らざることは、我等の力の至らざることに思ひ居る時、うたた感慨無量なるものあること多きを悲しむ  セイキョウ貴尊講義


未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 1                      セイキョウ貴尊 講述


 我、セイキョウ。ミキョウに語りし今回の講義について、教主仰せらるるには、時速十八万里の演題はあまりに其範囲狭く、且つ下界の近代学者が称へ居る数理に基きたる感あるによって、或一部のものが此書に耳目を惹さるれど、一般の人種には通ぜざるべし。又事実宇宙の運行は下界の数理によって、時速七十二万キロなど称し居るは誤りたる計算にて正しからず。よって今一段一般人に通ぜしむるごく平凡なる演題を掲げて、衆人の耳目に触れしめよと仰せられたるによって、標目を変更して帰途案内記と改めたり。教主又仰せらるるには此書よりは殊更むづかしき言句を用いず談話的に語りて、小児と雖も解し易きやぅ説明せよ。いささか紙面の数を増すことは是又余儀なし。よってその心して語り聞かせ一人にても多くの人の耳目を傾むくるに、心を用いて徒に惑はしめざるやぅ心がけよとの仰せなり。汝等是を諒として聞くべし。否聞かれんことを望むものなり。
 さりながら我等は文章家にもあらず。又学者にもあらず講談師にもあらねば、至って言句は拙劣となることを是又諒とせられたし。世人の日常用い居る言語を聞くに、我等其意味を解する事あたはざる言句は極めて多し。よってかかる辞句はなるたけ遠ざけて用いざるやぅ工夫なし居れど、稍もすれば余儀なく其言葉を使用するやもはかられず。是等についても亦重ねて語りをくこととせり。その心して聞かれんことを。又云ふ。この篇を名づけて帰途案内記、大序の巻として談ずることとせん。
我、はじめ自在論を講じてより既に五周年に及ぶ。然して世人に語りたる言葉によって与へたる教へは汝等に幾何の利益を与へしか。又是と反対に幾何の不利益を与へしかは計り知るよしもなし。されど我等は尽す限りは尽したれど導きの力乏しきが故に、一段の進歩を見るに至らざることは、我等の力の至らざることに思ひ居る時、うたた感慨無量なるものあること多きを悲しむ。されど其は我等の力未だにぶきが故に通ぜざるなりと思ひて、一層奮励努力せんとはかり居るにて、世人の怠慢を決してせむるものにあらず。責は我等にあるなり。世人にして我等の意志を聊かにても汲み取り呉るるならば。耳目を傾けて一歩にても我等の語る道を歩まれんことを切に願ふものなり。今更事新らしく述ぶるの要なけれど、厳めしき言葉を用いて、衆人を恐れしめる如き事はなるたけ避けよと、教主の仰せなり。言葉によって人の心を傷けなば、其だけ進歩の力は弱はくなるによってなりと、仰せられたり。徒に神を恐れしむるは指導者のなさざるところ、神に親しみを感ぜしめて、一人にても多くのものが神に近寄らんとする心を起さしめよ。

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