感応論   第三巻   放心の原理その1   テツシン貴尊講義  2020.12.08

感応論   第三巻    放心の原理 その1     テツシン貴尊講義 


 心を自由自在に欲するがままに放心せしむるを得るやについての理論を説くにあたり、先づ肝要なる事柄の二三を知りおくべし。そは他あらず。汝等親子夫婦兄弟或は親友との区別より順次考へ見よ。第一親子の関係、第二夫婦の関係、第三兄弟親友の関係についてなり。
 第一親子の関係より観察を下す時、父と母との区別について、先づ考察を計れば、父は魂上魄下にして、母は魄上魂下なる事は前にも述べたる如くなるが、此関係上父と母との子に対する念の力には異なる処あり。父は魄の慈悲心は常に潜在に有し、魂の責を表面とするによって、子は自然父に遠ざかる。是に反し母は愛撫を表面に、責は潜在しあるに依って子は母を慕ふ。その結果として子の脳裏には母の念は強く印象を残し行くなり。是即ち動物性と人間性両本能の働きにして、子の脳裏には肉体と精神との両方面より受くる影響はきはめて大なるを以て母の思ひは深く子に銘じあるは当然なり。父の愛は動物性本能の欠くる処あるを以て母の念よりもうすし。されど人間性の愛は母に勝れど、子の脳裏には受理する力うすきと厚きとは教育の程度に依て異なるは事実にして、現在汝等が国に行はれ居る戦争に対し、子は戦場に在りて戦死する時、母を呼ぶは肉体の失はれんとするにあたり、幼児の姿にかへり母の膝に在りし過去にかへりたればなり。又母の念母の心は常に彼が身体より離れあることもなければなり。父の念は死後を守るものなり。此理は追々語るべし。
 次には夫婦関係について述ぶれば、妻と夫との魂魄の相違は前に語りし如く表裏するを以て、心の用法にも表裏となる。例えば一の事業をなさんとする時、良人は潜在の魄によって大勢を考慮し、妻は表面の魄によってその経路を観察するが故に、細き事は妻に依て夫に教へらるること多きなり。斯くの如き有様なるに依て夫婦の絆はつながれあれば、心の通ひは同一にして常に夫妻相互に通ふ。恰も機関車の鉄路を往復するに異ならざるなり。夫婦の心は斯くの如く常に往来す。
 さて第三の兄弟親友の関係はと見るには。肉体の関係血族の関係もあれど長じてはうすくなるは即ち思ひ念なり。俗に兄弟は他人の始まりとも云はるる底の有様に化し行くは普通なり。此理は気光素が彼等の意のままに使用され居るに依ることは既に説きたる如く、又親友との関係は血肉の継続はなきも意志の共通によりてつながれたる結果、念の働きは気光素によりて固く結ばれ、恰も夫婦の其の如く組織されたるなり。

 此三つを要約すれば親子は単線の鉄路の如く、夫婦は複線の其にして兄弟親友は臨時列車の如き関係となると思ひて可なり。されば未知の他人は無軌道にして折々乗る人力車自動車の如きと思はば可ならん。我、放心の原理を語るに此要件を先に語りしは心の成立を明白ならしめんが為なり。心は絶間なく動揺して休止するいとまなく彼方此方と馳せ廻る素質を有することは、是等の例に徴しても明白ならん。親は子を思ふこと寝た間も忘れじと云ふにあらずや。妻は夫を、夫は妻を、又兄弟姉妹は其々に親友も亦相互に思ひを馳せつつあり。されど思ひには軽重あり。親子夫婦には忘れざる心、兄弟親友には思ひ出す底の差あるなり。時々折々思ひ出すと云ふは隙ありて軽く、忘れぬと云ふには隙なければ重し。汝等は今は戦争の事のみ忘るるいとまなく、他の事柄は思ひ出す程度なるべし。心の動揺は斯くの如き運行を示めしつつある事を知り得たらば更に一歩を進めて考へ見るべし。

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