感応論   第二巻   平面鏡と立体鏡 其五   テツシン貴尊講義

第二巻   平面鏡と立体鏡 其五   テツシン貴尊講義


 此うたてき気の力は、久しきに過ぐれば神経衰弱性を誘発なす底の強みあるなり。故に此気にかかる事は早く処理せざれば、修養の妨げとなるを以て止めおくべからず。その現はるる現象は魄の受くるが為にて、魂は宙に従ふ。されば魄魂の働きとなる故に、魄を養成して気の明らめを早くせしむる法を考究せざるべからず。即ちものの道理を覚りて迷信を打破し思ひ煩ひを去るはもとより鍛錬して肚をつくることも大切なり。
婦人にありても修養して意魄を強くし魂を養ひ、一如の法は親の力をたのみていささかの迷ひ心なき修行を怠べからず。わけて婦人は子を育つる大役あれば、気弱ければ子に感染の脅威あるによりて、深く慎まずば悔を残す結果となる憂ひを残さん。かへすかへすも慎むべきことと注意しおくなり。
 世に気の弱きと云へる人は、即ち胆力弱きか、修養の薄弱なるかに基因す。控へめの人を気弱きとと見るは誤なり。控への気弱きと混同するなかれ。控へめの人は智慧ありてなり。されど我は気弱きにより言語も思ふ様に云ひ難きとの控えめはいささか考へを要す。是にはかけひきあればなり。汝等の内にも斯る人のあるならん。真の臆病かはた又かけひきかは少しく交はらば知らるるなり。魂は表面に現はるるを以て此気も軽く、元来光(こう)なれば深刻ならざれども、魄は元来気体性なるを以て気の感じはきはめて深刻なり。故に是を清浄にするは容易ならず。汝等是を諒として修養の度を増すに依て以てその苦をまぬがれことを願ふべし。
 されば魂魄一如となりての後気の働きは如何にと云ふに、是にも三種の現象あり。第一肉体より受くるもの、第二魂より侵入るもの、第三直接意魄に及ぼすものの類なり。
 先づ第一の肉体に感じ来るとはいささか寒気を如き症状を覚ゆ。但し風邪又は神経痛の病気ある気は此限りにあらず。斯るとき毛細管が開らきて恰もとりはだの如く、粟を生ずる現象なり。いささか身戦ひを覚ゆ。是肉体より受くる姿なり。
 第二の場合は魂より侵み入るものとは、即ち魂は光なるを以て肉体よりとは全く異なり、何物か我が傍らに来りて話しかくる如きに感ずる時、是が消えて次第に気にかかる底の様に変化す。
 第三の場合は直接魄に受くるを以て直ちに胸にひびきを生ずるなり。然れども魂魄一如となりての後ならば気にかかる憂ひなく直ちに看破するに至る故に、病気などに犯さるる憂ひなし。着々処理する故ならん。魂魄霊三鏡一体に及ぼす影響はと云ふに、霊の働き加はれば、肉体の現象には平素と何等異なる処なきのみか、却て熱情を感じ筋肉に壮快さへ感ずるを以て何事も明瞭となる。

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