感応論   第二巻   平面鏡と立体鏡 其四       テツシン貴尊講述 2020.12.06

感応論   第二巻   平面鏡と立体鏡 其五   テツシン貴尊講義
耳鏡即ち耳の鏡に映ずる時は、其が又魂魄によって組織されて脳裡に閃き神の声、霊の声の如く感ずるなり。この現象にも四種あり。一は胸に来るもの、二は下腹部に来るもの、三はは以後より来るもの、四は何れか外部より聞ゆる等の種類にして、此外部より直接内耳に聞ゆるもあり。
 第一の場合は心意、第二の場合は魂、第三の場合は魄、第四の場合は神経、その他の場合錯覚性聴覚と心得て可なり。然らば例に依る聴覚は如何にと云ふに、是は何処ともなく大空より感受し来る声なれば、肉体の動作は全く絶え、身体麻痺せる如く抑圧されて自づと低頭なさざるべからざる姿となるを以て、直に霊感と知らるるなり。眼による現象は複雑にしてその様を異にす。唯眼を閉る人と閉ぢざる人との区別あり。
 眼を閉づるれば幻影或は錯覚に襲はれて有害となる。故に修行者は平常と変化なく開らくべし。肉眼を閉ぢて外部を見んと志す方角に顔をむくるとも錯覚のみにして事実を見ることを得じ。又首をうなだるる如き形して何事か思案ずる様にて、眼を閉ぢて何物をか尋ね求めんとするなども、胸及び胃を圧迫するのみ、幻影を見るに終る。是は神経の働きなればなり。又いねむりの状態にて眼を閉ぢ、口を開きて幻影を見るもあり、是等も意のみの働きによる。
 眼を開らきて空間に現はるる様々の幻影を見るは魂なり。眼を開きても他の物体は見えずして、幻影を見るは魄と知るべし。耳を傾けて己何事も感ぜず、いささか倦怠を覚ゆる時、路傍に何か変りたる姿の幽霊を見る事もあり。是等は魂魄一如となりたるか、或は、何か心身の過労により来るかの現象なり。斯る事は神経より受くる幻なる事と知るべし。されど魂魄一如となりて現はるる幽霊は決して肉体の眼に映ずるにあらず。魂魄との結合したる一如の眼こそ体験の結果は、自覚せざれば筆舌のよく説明するあたはざるなり。汝等は眼で見ると云へば形を意味するならんも然らず。医者は病人を診ると云ふも眼ではあらざる如く、魂魄の眼、霊の見ると云ふも此見かたなるを推知せば自づと見ると云へる意味は頷かるるならん。ものを試めし見る、敵状を計り見るの意味も含まるるなり。汝等もよく口にする心眼を開らくとか、或は先見の眼ありとか云ふにあらずや。魂魄一如の見るは是なりと知るべし。汝等この説明を立証せんと思はば慈音に問ふべし。慈音は正しきを見つつあるに依て、我は汝等に勧むべし。慈音も亦恐るることなく教ゆべし。屈する勿れ。

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