感応論   第二巻   鏡心法    続き    テツシン貴尊講述 2020.12.05

感応論   第二巻   平面鏡と立体鏡 其三       テツシン貴尊講述
2020.12.05
 汝等は猫の例話を如何に聞きしか。先づ猫共の鼠を補るべき本分を棚に上げて、鼠を補らんとする我慾の曇りを生じて二重の苦を重ねたれば、却て窮地を招き己計らるる結果となり、老猫は天職を全うして易々補ふ。是魂魄一如となりたればなり。猫共は魂或は魄となり、更に進んで霊鏡とならば鼠は近寄るあたはず。剣士の剣にのみ囚はれて他事に応用するあたはざるは、魂魄一如にて霊鏡に達せざればなり。若し剣士にして霊鏡に達しなば他よりねらはるる隙はなかるべし。霊の働きを知らんと慾せば、即ち魂魄一如ならしめずんば、真を知る事難きは再三再四語りたり。されど魂魄一如となしたるのみにては未だ用をなさず。是を働かす法を究めずば剣士の其の如く、唯刃三寸してかはすばかりの力のみに止る。故にねらふ者なしと云へる境地に達するには、三鏡一体となる工夫を要す。
 魂魄を調和し更に進んで是を霊に帰せしむる修行をすること大切なり。結局は陰陽の電波を整へて始めてスイッチを開きて発電放射を行ふに等し。即ち開閉器を開くとは前にも説ける親を押し込めし部室の襖を開けよと云へる事実に合ふなり。心意の兄弟、魂魄の夫婦が隠居し居る翁嫗の祖父母に仕へよと云に等しく、祖父母は我児我孫をにくかるべき、押し込め隠居せしめて却て不自由を与へるのみ。断間なく動揺しつつある心意を仲良くして争はしめずば平なり。斯くする事の練磨は難かしく考ふれど、明らめて工夫によりては余り至難にはあらざるべし。腹立つは魂なり。なだむるは魄、否々腹だつは心にて、なだむるは意なり。故に互になだめ明らめしむれば心意は円満なるべし。ここに工夫を要する事は明らむる上に尚明らめきれぬ場合多き事なり。此理は表面の心意のみ明らめ、内の魂魄が明らめ居らざるに基因す。されば心意魂魄を融和して強固ならしむる工夫せざるべからず。是を行ふに亦労苦を伴ふ。故に一々を整へることは終生修行するとも達成は難かるべし。されば親を求むる自問自答の法は是等一々の処理に依らずとも、達成を速ならしむるには適当にしてきはめて安全なる誰にもなし得る方法と我は信じたり。然しながら汝等個人々々の持てる特性に順応して方法を工夫して、其に基きて修練の道を工夫するも可ならん。要は心意と和し、つづいて魂魄を和し、更に進んで霊に和し以て大義を計らば、鏡心法はここに始めて威力を発揮して達成せらるる事と知るべし。百聞一見に不及の譬喩、実行を重ねて此妙味を味はしめよ。

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