感応論   第二巻   鏡心法    続き    テツシン貴尊講述 2020.12.04

感応論   第二巻   平面鏡と立体鏡 其二       テツシン貴尊講述
2020.12.05


  一千年の昔と今日に於て或物は進化し、或物は衰退し居れども、魂魄の特性には何等の変化なきを見る。是所謂神の法則に順応なしつつあるに依てなり。精神の衰退は時間空間の世界にあるを以て生死現滅はまぬがれず。是等もみな神の定めし法則なれば、人力の如何ともなし難きこと多し。されど是を巧みに応用せば、更に変化発達の路は新らしく開かるる特徴もありて、人類の幸福となるもあり、又不幸ともなるもあるなり。
 此用途は極めて広く万般に渉れば人智の向上発達は、学び励めば尽ることなく進むなり。魂魄の平面鏡を更に進化せしめて霊の立体鏡に至る迄進歩発達せしめなば、汝等の世界は光明の姿となりて真の平和を見るに至らん。斯くなりてこそ真の人界なり。流血の惨状を見て何の平和を求むることを得べけんや。武器を造り何の文化と誇るは愚なる事にあらずや。
 其は兎も角心乱れて魂鏡に映ぜず、意乱れては魄鏡に映ぜざるを以て、心を平にせば魂鏡に映じ、意をおだやかならしむれば魄鏡に映ず。故に心意は常に平静なるを要す。汝等この説明を聞きて未だ会得合点するを得ざるか。若し合点せずとならば、汝等は愚にあらずして、我の言葉の拙劣なりと我は感ず。汝等も努力工夫せよ。我も亦考慮して説明をなさん。
 立体鏡とは如何なるものかは、慈音は知れり。されど汝等には未だ知る者もなければ、是が説明にはいささか艱難を感ずるなり。是を学理上より説明すれば時間を要するを以て(光明論にて説明をなす事として此篇にては、唯立体鏡とのみ説明すべし。汝等是を諒せよ)
立体鏡を未知光線と仮定して連想すれば、およその大要を認識することを得べし。所謂巧妙なる未知光線なりと期待せよ。此鏡は姿はもとより魂魄に至る迄その全体悉くを映じ尽くして、少しもかくれたる処もなしと云ふ巧妙なる明鏡なり。斯る明鏡も魂魄二葉の平面鏡が霊の鏡と和して始めて明鏡の現出を見るに至る。若し此二葉一体とならざれば完全なる立体の明記されざるはもとより、半立体にては効果顕著ならざるなり。

 仏教に於て亡者が地獄に行き閻魔より過去の罪悪を写さるる鏡と称ふるも、此立体鏡を想像しての作言ならん。汝等は斯る伝導を聞きては一笑に附するならん。然れども事実立体鏡は科学の発達に依りて必ず成功を見るは近きにあらん。汝等は鏡とは水銀をひきたる硝子、或は研ぎ澄したる鉄板を想像するならん。是は姿見形見にて、鏡には相違なけれど、我の説く鏡とは有物無物を映す鏡を云ふなり。何物をも写し得る神鏡とも云へるなれば、その心して耳をすますべし。然らざれば会得は難し。即ち破壊、分解、融和に於て組織せられたる現象なりと推知せば可ならん。
 立体鏡は言葉も映るを以て、汝に来るもの、汝を欺かんと心に思はば既に言葉となり居るを以て霊鏡に映る故に、彼巧みに甘言を口にすとも決して欺かるる憂ひなし。古来武道の極意にいたりたる剣士は此修行に依て如何なる場合にも油断なく隙あらざるなりと伝へたり。剣三寸にして身をかはすと云ふも既に、心に映り居る故なるべし。然れども剣の他には、他の事柄は余り映らざるは何故かとの疑問は生ずるならん。汝等此理を知らざるか。

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