感応論   第二巻   鏡心法    続き    テツシン貴尊講述 2020.12.04

感応論   第二巻   平面鏡と立体鏡其一       テツシン貴尊講述
2020.12.04


 平面は唯その一部を現はし、立体はその全部を現はすは吾人の知る処なり。然れども鏡に於ては未だ立体を映ずべきものは汝等が世界には発明を見ざるなり。この原理はすでに慈音には語りたれば、此書には示さず。機を見て再記すべし。
 先づ魂の平面と魄の平面との二種の鏡について、その異なれる処を示めさば魂の鏡は速写力旺盛なれどもやや明瞭を欠き、魄の鏡は遅写なれどもきはめて明瞭に映す事特性なり。もとより魂は光(こう)を意味し、魄は気体を意味する事は前にも述べたる如く、鏡に於ても此特殊性は失はれず。故に光体には強く照らす力あれども、反射にさへぎらるる事はまぬがれ難し。例へば晴天の日には太陽の光輝旺盛なれば、是を蔽はば却て暗き度を増す。是に反し
曇天には太陽の影なければ照らすあかりは鈍く不明瞭なれども、さへぎるものなければ余りに大差なきあかるみ有し、何処に立つ物も影を映すことなかるべし。魂魄には斯る相違によりて映り来る事と覚るべし。人と人との約束、国と国との約束には、優勝劣敗に依て如何とも変更し得べく、又汝等が称ふる自然にも「昨日の淵は今日の瀬となる」ことあれど、神の定めし法則には決して変更することなきなり。斯く語らば汝等は云ふべし。「昨日の淵は今日の瀬」となるは、神の造りしも変ずるにてはあらざるやと。そは然らず。神は位置を造りしにあらず。位置は運行より現はれ行く姿なり。汝等箱の内に正しくものを入れたりとも、くつがへれば乱るべし。理はこれと同様にして神の定められしは不変なり。
 魂魄に於ても亦然り。光体は光体の特性を、気体は気体の特性を失ふことあらざるなり。斯く云はば汝等は魂魄の鏡は個性を失はざるを以て、その映写は正しかるべきに、何故に誤多きかと疑ふならん。尤なり。決して誤あるにあらず。所謂汝等が住める地球上のすべてを例にとりて詳しく説明を与ふべし。汝等が世界に於てわづか一千年前と、今日との相違を見よと云ふとも、汝等は事実の姿を目撃するあたはざるべく、唯文献に依て想像するにすぎざるならん。その想像の資料全くなかりせば、是を如何ともなすあたはざるべし。現在に於てすら汝等が国の思想と、異国人の思想とを相互理解する事あたはざる点少なからざるべし。まして一千年の姿、有様を如何に連想すとも及ばざるは必然ならん。然れども太陽の照し方、雲の流れ、雨、あられ、雪、霜、月等は連想するを得ん。魂魄はこの変り行く姿を映すものにして其全体は写さず。故に是を支配する霊が部分的に力を与ふる事によりて、魂魄は一方に傾く時、そこに現わるるは霊の力が一方的の反射作用を与へ、その反射が平面にのみ偏る結果は完全ならず。或は陰電のみ或は陽電のみの働きに帰するを以てあやまり易し。此反射力に依て魂魄の鏡に曇りを生ぜしむるが為に明瞭を阻害して正しき事を映すに至らざるなり。世の中のうつり変りは魂魄にも影響を与ふれども魂魄の個性は神の造りしものなればその根底は不変なり。

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