感応論   第二巻   鏡心法    続き    テツシン貴尊講述 2020.12.03

感応論   第二巻   鏡心法    続き    テツシン貴尊講述
2020.12.03



意魄の鏡

 意魄の鏡とは如何なるかについて考へて工夫せざるべからず。心魂のみの判断は誰もが日常行ひ居れども意魄を働かせ居る人は極めて少なし。思慮分別たかき人と云ふは、即ち意魄の鏡に迄映じて判断なす故なりと知るべし。遺失物を求むる人の例に見る如く、求むる人が落とせしか、或は落せし他人の物を求むるかを直感即決せず、今一層追窮観察して意魄の鏡にかけて計ることをなさば過失はなかるべし。我物にあらざるものを求めんと計る人と、我物を求めんと努力する人とに於ては、その挙動に相違あるものなれば、今少し意を用ゆれば判断は精確となるは必然なり。是魄の鏡迄深め映す方法と知らば可なり。又人の為の親切も「是をなすは結果に於て斯くならん。然る時は却て恩は仇なるなれば空し」と考慮するは意魄の鏡にかけし行ひなり。常に直感即決は魂の鏡、深慮即決は魄の鏡と知るべし。然らば意魄の鏡には誤認はなきかと云へば然にはあらず。魄のみにては如何に深く考慮するも過失多きは事実に現はる。是は世に云ふ凝っては思案にあたはずの比喩に徴するも明白なり。意魄も小さく見ゆる眼鏡にて、物体を見るが如く鮮明なれども事実とは全く相違し居るに等し。
 或旅人道中掏摸(すり)につかれて是を悟り、考慮の結果紙幣を帽子の内に入れて是をかぶりて安心して旅を続けしに、或人気なき山坂にかかりし時、背後より掏摸は声をかけて曰く「我は掏摸なり。今日迄汝の所持品を奪はんとて狙ひてあとをつけ来り。然るにその所持品は何処にあるやを知らず。汝は智慧あるなり。今後汝をねらふものありとも奪ふことあたはざらん」と云ひたりし時、旅人、さては然りしかとその言葉の未だ終らざるに、掏摸は旅人の帽子をとりて内の紙幣を奪ひて遁走せりと云ふ。もとより安心より生じたる油断にて己が眼が帽子を見上げたるならん。然れども意魄の誤は此の例にも見らるるなり。即ち掏摸は魂魄一如の境涯を得、旅人は魄一方なりしに依て失敗をなしたるなり。

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