感応論 第二の巻   テツシン貴尊講義   鏡心の巻その一

感応論   第二巻   鏡心法    続き    テツシン貴尊講述
2020.12.03


           心魂の鏡


汝等は唯鏡と云へば霊にのみ輝くと思ふならんもそは然らず。魂魄共に輝きあることを知るべきなり。例へば田毎の月の如く、魂の田にも、魄の田にも月は映る如しと知るべし。又大小に見ゆる眼鏡の球の如くに考ふるも可なり。魂に映るは大なれど漠然たり。魄に映るは明瞭なれど形小なり。故にこの大小の眼鏡を程よく組み合はせて、始めて霊に完全なる調和を与ふる結果となることを計るべきなり。されば心魂に通ふ鏡とは如何なるかを研究せざるべからず。汝等が常に体験する事柄に徴して論旨を進めんに、汝等窓を開きて街路を往来する人々の挙動の有様より、何の目的にて往来し居るならんとの推測を下すならん。是即ち魂の鏡に映りし姿にして、所謂直感即答は心魂の鏡に映じたる現はれと知りて可ならん。但し行法練磨したる人の印象によるはこの限りにあらず。是については講を重ねて述ぶへし。心魂の鏡に映りし誤認の三例をあげんに、たとえば道を行く人、前後左右に眼を配るを見て、落とし物ならんと直感して其人に尋ぬれば、さにあらずして通行頻繁なれば定めて遺失物あらんと思ひて求むるにて、我、落したるにあらずと答ふべしと云へる如きなり。魂に映りし直感即決には斯くの如き誤認あるなり。又道行く人の挙動不審なりと見て、却て反対に我の疑はるる如き事もあるは、是即ち魂魄にのみ映じたる誤となれる結果に他ならず。故に直感即決は大抵心魂の鏡に映る現象に多し。全て日常の生活に於て、善悪邪正信不信等は眼鏡にのみまかせ居ると考へて修行せざれば過失は多し。我、他の為に良と思ひて行ひしことの、却て悪き結果となる如きは、魂の鏡にのみ映じたること多きを以て注意せざるべからず。

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