感応論 第二の巻   テツシン貴尊講義   鏡心の巻その一

感応論第二巻  鏡心の巻    テツシン貴尊講義
2020.12.01


汝等平素も魂魄は活躍し居るやの如く解釈なし居るならん。そは然らずして平素働きあるは即ち心意なり。この心意を魂魄と思ふが故に、魂魄の働きと心意の働きとの区分明白ならずして、為に修養の力を増大する事を得ざるなり。
抑々魂魄と心意については前にミキョウが語りたれど、我今是について少しく語るべし。汝等平常他と雑談しある時、魂魄は沈静し唯心意のみ働き居るものなり。然るに話が重要性となるに及びて、心意は退き魂魄と交替す。恰も商店の召使と談話中、主人とかはるに異ならず、是を要約すれば心意は子息とその嫁との如く、魂魄はその父母の如しと思ひて可なり。
故に魂魄の父母は平素は息子夫婦にまかせ、大切なる要件にあらざれば表面に現はれずと知るべし。魂魄と心意の関係は斯くの如きものなれば、心意の修養に依て魂魄は磨かれ、魂魄の働きに依て人格は向上す、されば心意は魂魄を磨く布なりとも言ひ得らる。即ち魂魄は無の潜在にして、心意は無の実在とも推知すべき性質を有す。
 我、ここに至って特筆すべき一義あり。そは他にあらず。圧力と引力についての解釈なり。汝等は圧力とは押し上ぐる力、引力とは引く力とのみ思ひ居るならん。もとより文字の意味に於て解釈せばさこそ思ふならんなも、我の語るは引力性力圧性と、その範囲を拡大して考ふべし。唯圧し引くとのみの意味は範囲狭ければ、用途も極めて狭隘となればなり。故にその範囲を少しく拡張して研究を要す。たとえば右せんか左せんか、或は進まんか或は退かんかと思ひ惑は引圧の争闘にして、右せん或は進まんと決心せば圧力の勝利となり。左せん退かんと決心せば引力の勝利に帰する等の如く、陰陽についても陽は圧力性、陰は引力性と考へて又然り。浮きたつ心は圧力性にして、沈鬱の心は引力性なり。ここに注意すべきは浮きたちて雀躍するも沈鬱にして物思はしきも、何れも心にして意にあらずと知るべし。何となれば圧力の裏面には引力の潜在しあればなり。前にも説きたる如く、心の表面は圧力にて裏面は引力なればなり。是に反し魄は表面は引力性に富み、裏面は圧力を有す。故に身体強健なる人は心浮きたち、虚弱なる人の心の陰鬱なるは心も病ひて意にはあらざるなり。
 然らば意とは如何なる場合に現はるるやとの疑問なるべし。決心と決意の区別は、心を決し意を決すと一言に称ふれども、我の説く処は汝等が思ふ如き決心と決意を同視するに反することを深く諒知せよと命ず。
 決心と決意は相似て等しからず。たとえば水と氷の如くに考ふべし。もとより水を離れて氷なきは当然にして、決心を措いて決意なきも亦当然なり。されば決心は圧力性に富みたれば常に先んずるが故に、ややもすれば鈍る事多し。能く聞く処なるが、昨日汝に決心の程を語りしも考慮の結果誤あるを発見したれば右は撤回すべしなど云へる例は是なり。考慮の結果撤回すべしとは、即ち意なりと考ふも可なるべし。

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