覚者慈音1642   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1642
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十三      身心魂を計る尺度計の説明   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・31


 されば他の方法はすべてを原因に逆上って、其原因より是を測定するにあらざれば、正しき判断はつき難からん。故に先づ考ふることは、種子を地上に下して、其が根を下し、二葉を出すに至る迄の計算法もある事は云ふ迄もなし。されどその種子にも何か中心となすものなかるべからず。故に是を定むるには、すべては何かの中心を基として測定するにあらざれば、正しき判断はなし難し。尺度計に於ても亦同様の関係あるなり。尺度計は中心を基として、或は上方へ、或は下方へ、或は左右へと測定するに便ならしめんがため、かくも三段に作られあるなり。今此尺度を見るに心に相当する二十個のものを中心として、上方は魂に下方は肉体へと用い居れり。然して又一方上方の魂に相当する五個のうち、融和に相当する中心より、左右に計る法を用い居るが故に、上下左右悉くみなすべてに通じて測定なすことを得るなり。然して魂の融和に相当する処を、心の尺度に合はしむれば、五十歳六十歳の場所に中心ををく事となり。又肉体もその線に沿って同様となり居るを以て、中心は何れも五十六十の場所に置れ、是に依って前後左右上下にも、その中心より測定せば、すべては明らかに推知することを得るに便ならしめたる、用具なりと知らば可ならん。図面を作りて参照せば明らかにならん。秘伝書にはかくもまぎらはしく説明なし居るにて、我等是に対して詳はしく説くことは易けれど、是を簡易に説明する時は物体を計る方には便なれど、空間を計る方には却て複雑となりて理解を得せしめることあたはざるが故に、かくは不明瞭なる説明をなしたるなり。もとより秘伝を許さるる人ならば、此説明には明らかに会得なすことを得るによってなり。この尺度計は易学秘伝の基礎となり居るによって、易学を修めてこの秘伝を許さるる人ならでは、会得は困難なること云ふ迄もなし。世人には斯るものの必要はあらずと思ふが故に、唯参考にのみ語りをくに止めんと思ひて、秘伝書のままを示めしたるにすぎずと思はば其にてよし。
 現在の世界には数学が進みて斯るものを用いずとも計算はなし得らるる事は我等はよく知る。故にかかるものを用いずとも何等の不自由を感ぜざるが故なり。即ち古代の幼稚なる時代ならば今少しく是をくはしく語るの要あれど今は益なし。故に古代は斯るものを用い居りしと云ふことに、参考として語りをくに止めん。

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