覚者慈音1638   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1638
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇     
第六十二      完全なる魂と不完全なる魂   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・29


 故に罪の如何によっては、其罪の軽重に対して尺度を用いて、是を清除なし給ひ居るにて、殺伐の刑にかなはしめたるにてはあらざるなり。さりながら世人の世界にこの法則をあやまち用い居る事は、神の法則を取り入れて是の用法をあやまち居るが故なりと知るべし。
 死刑は殺伐なり。神は殺生を戒しめ居るなり。殺伐の死刑は是正しき法にあらず。生かさんがための刑にあらざれば、正しからずと我等は語るものなり。例へば黴菌を死滅せしむるは是殺生にあらず。すべてのものに対して禍をなす黴菌は、即ち汚れなり。故にその汚れを洗ひ落すに過ぎざるなり。是殺生にあらず。清除の法にして、垢を脱落せしめたると同様なりと聞かば可なり。黴菌の中にも清濁の二種あり。濁を去りて清となさんとするも、其両者を区分することは難きが故に、時には両者の菌をも清除すること多し。されど清なるものを生かさんがためには是を繁殖せしめて、用ゆる法も設けられあることは世人もよく知る処ならん。相対性世界にはかくの如く両者の対立するが故に争ひは絶えざるなり。又其争ひがあるが故に、悪を退け善を進むる進歩発達の道も、自づと備はりあることも推して知る処ならん。是相対性世界より、絶対性世界に上らしめんがための自然の法則にして、所謂ものの対立するは、進ませんが為に作り給ひし大自然の法則なりと知らば、汚れに染まりて捨てらるる如き、死刑の罪に問はれざる用心肝要なるべし。慈音に対する回答は斯くの如し。我、今罪の軽重をはかる尺度と云ふ言葉を用いたり。されば人間の身心魂をはかる尺度はありやと思ふならん。身心魂の様々に対して、是を測定する尺時計なかるべからず。此事に対しては前巻にも些か貴尊方も説かれ、又我も一部を語りたり。されど詳しく説明せざるよりて、世人の脳裡には未だ印象の程度は浅かるべし。故に講を換えて是等の尺度計に対して、更に詳しく説明をなして世人の修養の参考とすべし。

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