覚者慈音1611   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1611
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十八      通力と魂との関係   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・24


 鉄路をひきて汽車をはしらせ、船をおきて海をわたすも是みな通力の法なり。世人は変りたる行ひをなすは通力の如く考ふれど其はあやまりなり。理に合はざることにて通力を得ること難し。理なくしては通力は得らるるものにあらず。通力自在と云ふは即ち理を明らめて後にあらざれば行ひ得るものにあらず。理なくして通力を得たりと聞かば其は偽はりなり。通力自在を得たる人は地球に居ながら肉体と共に天界に至り、又肉体と共に地球にかへるなどと聞かさるれば、世人は其を神の力によってなされたりと考ふる如きは、是智慧の至らざるにてかかることに迷ひを深くするはあやまちなり。其こそお伽噺の伝説に他ならず。座して天界の広きを見て、其居に於て天界を語る通力ならば、其は正しき道理あるによって疑ふ余地なし。肉体を運ばずとも天界の広大を知ることを得るは、理によって明らむることを得らるるによってなり。即ち肉体を持ちながら天界と地界を往復したると同様の関係となるならん。是等の事について面白き例話を以て世人の疑ひを晴らさん。
 或行者深山の岩石に座して多くの徒弟を集め、我今より天上界に到りて神界の様を見きはめて帰らんと云ひて、印を結び九字を切りて忽然として天上界に上りたり。程経て又も岩上に帰り来たり、然して天界のことを細々と弟子達に聞かせたりと云ふ例話あり。是等の話を世人は如何に聞くや。行者なるが故に通力を得てかかる事をなしたるならんと思ふならん。是等の法を種明かしして聞かすべし。
 行者の法には隠形の法と云ひて印を結び九字を切りて行ふ術あり。是に依って己が姿をかくし居りて、恰も天界に上りたるが如く装ひて、然して程経てその法をときてもとの岩上に帰りたる如く見せたる迄なり。行者の法によって弟子達は錯覚に陥り居るにて、行者は岩に座したるまま何等他のことをなし居らざるにて、法のとかるる迄は徒弟の眼には行者は見えざる迄なり。かく聞かされなば世人は一種の手品なりしかと思ふならん。然り方便の方法にて訳もなきことなり。すべて不思議と思ふことも種明かしすれば訳もなきことなり。故にかかることを深く念頭に入れて迷ひを多くすることを止めよ。信仰を得せしめんが為にかかる方便の方法を以て徒弟の心に、又一種の信仰を植えつけ居るにすぎず。是等は宗教に云ふ小乗的方法にて、大乗的にはあらざるなり。迷ふことなかれ。中途因果の法則にはかかる刹那的の行ひもありとのみ信じ居らば其にて可なり。かかることは習ひても万人悉くなし得らるるものにあらず。よしやなし得たりとて何の益かあらん。要は大自然の恵みに浴して神の家に帰らんことに努力せよ。

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