覚者慈音1598   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1598
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十7      天眼通と地眼通   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・21


 余事はとにかく約束なれば欣情の語りたる幽霊論を説明して答へをなさん。世人は現在の学者が研究なしたる程度以外の事は知らざるべし。さればこそ霊魂の研究をなすにあたって、すべてを肉体本位より研究をすすめんと計るは是正しき霊を知らざるが故なり。肉体本位の研究は微々たるものにて、霊魂より是を見るならば或一部の機械にすぎざるなり。霊魂は外部より内部に通じ、然して内部より更に肉体の機械を運転なさしめ居ることは、前巻の説明によってほぼ推知なし居るならん。故に霊魂は宇宙に充満して、或種の電波を以てその波長に相当する世人の肉体を支配し運転なさしめ居るにすぎずと考へて、先づその方法を考究し見よ。
 例へば放送局より一般に送り居る電波を霊として考ふる時、その波長に相当したる機械が否受信機が世人の肉体なりと見ばうなずく事を得るならん。放送局より送り来たる波長がセットの波長と同一ならば共鳴すれど、然らざる時は受信することあたはざると同様の関係ありとして考へなば、霊魂の如何に広きかは知ることを得るならん。放送局の送信には限度あり、霊魂の送信には限度なし。受信機に於ても亦同様の関係ありと考慮せば、従って霊魂と肉体との関係は認知する筈なり。発信機より送られたる波長が、受信機に故障を生じなば、感受することは得ざる道理も知ることを得るならん。先づこの事柄をよくよく脳裡にうつして然して幽霊論を聞かば可なり。人は病ひて己が死期のせまり居ることを知りて、機械が全くはたらきを失ひて要をなさざるに至ってはじめて死をさとることを得るなり。死を知りてその機械をすつるは是使命をはたしたるが故なり。然るに機械がはたらきの力あるに対して一部分を破壊さるれば、その一部分を修繕すればもとに復してつとめを果すことを得れども、修繕せざれば運転はなさざるべし。一部分の破壊とは即ち他殺によって受けたる被害なりと説かば既にうなずくところあらん。自殺に於ても然あるなり。機械の力全く尽きて働きをなさざるに至らざれば霊魂は去るものにあらず。その働きの力ある間は霊魂は波長を送り居ることと知るべし。欣情の語りたる幽霊論は是にてほぼ察する事を得るならん。されど智識そなはらざる人の中には尚是のみにては解し難かるべし。依って今少し平易に砕きて説明を与ふべし。

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