覚者慈音1597   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1597
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十7      天眼通と地眼通   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・21


 四月三十日のこだま会に於て我、会員に対して神仏性卵を、凡ての人に授けられ居ることを語りたるに対して、是を如何に己が心に感銘なしたるや。余り重大視なせし人はあらざりしならん。もし是を重大視なしたる人ならば此言葉によって一大事をさとり得る筈なるに不拘、唯脳裡をかすめたるにすぎずと思へば実に遺憾なりと、我は感ずるものなり。さればこそ慈音にしてかかる愚問をなしたるならんと思ふなり。霊魂を或研究の資料としてもてあそぶ如き気まぐれ研究ならば、かかることは直ちに捨てて土をたがやし草花にても作り居らば、却て美はしき花を開らかせて肉眼を悦ばしむるならん。汝等に授けられたる魂魄は大切なる宝にして、玩弄視すべきものにあらず。霊魂は学者智者愚者等の区を択ばず、すべてに授けられたる神の種子なり。然るに是を軽視するは神を恐れざる愚昧の徒に他ならず今少し反省して是を重大視して、霊魂の二者によって卵を完全に孵化せしめて雛鳥をもうけ、是を育てて神に到らしめよとすすむるものなり。微々たる近代の科学を以て是を研究せんなどは、我等に云はしむれば片腹痛きことなり。慎むべきことにこそ。今少し緊張して誠心誠意真面目に我等が説を聞けと苦言を送るものなり。
 世人の思ふ如く霊はかかる力の弱きものにあらず。近代の霊媒者など称へて世にはびこるもの、斯る徒輩は取るに足らぬかたはものにて、我等に云はしむればすべて不具者なり。かかるものに囚はれて正しき霊の命に従はず、興味を以て彼等の行ひを重視するが如きは、愚も亦甚だしと云はざるを得ず。霊斯る狭隘なるものにあらざる事に早く覚醒めよ。世人の思ひは余りに小さし。さればこそ汝等の霊魂はのびる力を失ひて、狭き処に窮屈なるはたらきをなすにすぎずと考へて今少し広く高く伸すことに努めよ。霊の尊さは自づとさとることを得るなり。世人は霊魂を玩弄視するによって是を軽んじ真剣なる拝みをなさざるなり。正しく感じ居るならばその尊さに心ひかれて迷はずたゆまず拝みする筈なるに、是をなさざるは軽んじ居るなりとの思ひより早くめざめよ。真剣なる拝みをなせよ。さとれば必らずや拝みせずにはすまされざるべし。さとらざるが故に軽視するなり。我は神にもあらず。又宗教者にもあらねば、使命によって汝等を導く道案内者にすぎず。その道案内者の任にあたる我に於てすら、拝みをゆるがせになしたることなし。其は神の尊さを知るによってなり。世人の世界の現在の程度を我はよく知る。我の眼より見る時現在の学者智者などは、みどり児の悪戯なし居るにも及ばざることを知るによってなり。

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