覚者慈音1596   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1596
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十7      天眼通と地眼通   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・21


 天眼通とは全宇宙を意味し、地眼通とは即ち地球と同様の関係を有するすべての界を指すにて、是等を要約すれば実在化せるものを地眼通、然して零空に存在する無形の霊を見るは天眼通に合ふと見て差支なからん。又地球の空間を見るは天眼にして地球の内部を観察するは地眼通に合ふことも推して考慮せざるべからず。小にしては小動物より、更に大にしては全宇宙に及ぶすべての観察をなし得ることに依って、天眼地眼の如何なるかは観察することを得と知りて、先づそのすべてを原因より結果に至る迄知るにあらざれば、天眼地眼の通力とはならざるならん。世人の考ふる天眼通及び地眼通とは唯心眼によると思ひ、或は肉眼を聯想する見かたを心に貯へて考へを廻らさば、其は大なるあやまちなることに心附けよと教ゆるものなり。我等の語る天眼地眼とは心眼を指すにあらず。霊眼を開けよと教ゆるものなり。心眼は肉体の相違によって、見る眼をあやまつこと多し。如何に心眼を開らくとも、心の眼は肉体の相違にてあやまちたる見かたをなすが故に、正しきものを見ることは難し。魂は心眼よりはすぐれたりとも是に霊の力を加ふるにあらざれば、正しきものを見る事は難し。故に霊眼ならざるべからず。魂と霊とが一体化してはじめて霊眼は開らかるる事に心附かば一段の工夫なかるべからず。
 今欣情が慈音に語りたる幽霊ばなしを聞くに音に依って人に伝へ、然して己の屍の在所を教へたりと云ふことなるが是に対して慈音は我に対して語りて曰く、「己他より受けたる災害にて生命を失ひて、其を他に通ぜしむるに何故音を以てするや。其家の人に霊媒者あるならば何故姿を現はして語らざりしか」と。慈音にして斯る迷ひの愚問を我に訊くは実に笑止と思ふが故に、此書に記録して世人にもそのあやまちを教へんとするなり。
 我、慈音の言葉に対して愚問と云ひたるは他にあらず。即ち慈音の問は彼の心に真面目を欠きたる或一種のきまぐれなる心にて質問なしたる故なり。総じて世人の霊魂に対する考へは、皆座興的の考へを以て、或一種の興味に誘はれて、是を現在の学理にて研究なさんと計る如きは、霊の一大事を没却して、是を玩弄物の如く心得居るによって正しきさとりを得ることあたはず。空しき研究に日を送る愚をなし居るによって我、慈音の問を愚問と説きたるなり。

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