覚者慈音1595   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1595
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十六      神通力と人通力の関係   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・21


 肉体信仰は限度ありて通力はありとも、その力はうすく、魂魄信仰は限度なければ通力は深し。この事柄より更に考究せば、肉体ありての魂魄、魂魄ありての霊、霊ありての無始終霊子の順序は従って推考せらるるならん。さればその極致に達する迄の順序は、従って明らかとなりて、道は自づと開らかれ行く道理を考へざるべからず。行ひてならざるは道をあやまちたるによってなりとの考へを廻らして、一歩進まば更に前方を見きはめ、又進みては前方をと工夫なして歩まば必らずや到るべき処に到らん。我等世人に対してならざる事をなせよと教ゆるものにあらず。我教へに従ひて道を歩まば必らず到るべき処に到らすべし。されど歩まざれば運ばるるものにあらず。
 今汝が住める家を考案資料として考へ見よ。その家の中心となるべき柱が弱ければ其家は倒れん。先づ中心となるべき柱を確かにしてすべての周囲の柱を其々の位置に従ひてたつる時は、全部の柱が完全に家を支ふるならん。もしその周囲の柱が一本たりとも通力を失はば、家は傾くは是又理なるべし。すべての柱が通力を得たるが故に、人は安全に住居なし居る事に思ひを廻らさば、通力の事柄は従って認識するを得るならん。是は即ち肉体の通力を教へたるものなり。されど肉体に宿り居る魂魄とは云はずもがな其家に住む人なるべし。人が大切か家が大切かを考ふる時、人ありての家なり。家ありての人なりとの関係も従って悟る処あらん。家に住む多くの人の中にもみな其々のつとめを有するならん。小児は小児、親は親、雇人は雇人として皆其々に定められたる分野あり。その分野のつとめを果さば通力は得られたりとの道理も、従って認識することを得るならん。通力とは先づ斯くの如きを云ふなり。

×

非ログインユーザーとして返信する