覚者慈音1594   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第四巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1594
未知日記 第九巻 因果論       
第四の巻
心霊篇 
第五十六      神通力と人通力の関係   
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
           2019・12・21


 或人富豪家の人の危きを救ひたるに、その富豪家或る人にむかひて曰く「我、汝に報酬を贈らんとす。何か求むるものなきや」と。或人曰く「我、汝を救ひしは報酬を得んとてにはあらざるなり。唯哀と思ひて救ひたるなれば望むものあらず」と。富豪家曰く「其にては我心すまざれば何にても汝の求むるものを与へん」と。或人曰く、「さらば求むべし。我は当年五十才なり。故に我年の数だけ一厘の倍まわしにて五十回だけを与へよ」富豪家曰く、「かばかりの報酬にてよきか」と。或人笑ひて、「其にてよし」と答へたり。然るに富豪家彼に約せし言葉のあやまちを謝するに至りたりと云ふ例話あり。世人は此意味に対して如何に考ふるや。是に対して或人の富豪家に向ひて語りたる言葉を紹介せんに、「富豪者よ。汝は金品財宝に依て凡て世の中の事は清算なし得ると思ふが故に、かかる失敗を重ぬるなり。金品財宝は肉体を支ふるのみにて、是によって世の中すべての事柄を処理せんと考ふる事を止めよ。我が汝に尽したる事柄は僅少にして、例へば汝に求めたる報酬の一厘に相当すと思ひて先づ考慮し見よ。我の汝に尽したる一厘に相当するものを二人四人八人十六人と倍加して行ふ時はわづか五十回にして億兆の多きに達せん。この事柄を汝に知らしめんと思ひて一厘の倍加にて五十回の報いを我に贈れよと、語りたる迄にて、我は汝より報酬を受けんとの慾心はあらざりしなり。汝の資産はわづかに五十回の報いをなす底の資産はあらざりしことをよくよく反省して、人の否人間の暖かき心の施しは如何に大なるかを知らば、金品財宝の力の遠く及ばざることを知るならん。金品財宝は使へば限度ありて消滅すれど人の情、神の慈悲は限度なければ消滅することなく、又世を益することの如何に多きかを考へて、早く物質よりも真心のすぐれたる事にめざめよ」と教へて彼は立ち去りたりと云ふ。あとにて富豪家は漸くその意味を悟りたりとの例話なり。所謂貧者の一燈長者の万燈の話の類にて、貧者の一燈とは物質を指すにあらず。真心を現はし、長者の万燈は物質を意味すとの譬喩なるべし。

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