覚者慈音987  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻0の七  霊の役目と其動作について   セイキョウ貴尊講義

覚者慈音987
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
霊の役目と其動作について



                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.5.19


 慈音よ。決して点筆を捨つる勿れ。我は汝の徳を誇大に吹聴するにあらず。行ずる者の参考として事実を語るのみなり。怖るることあるべからず。我言葉をしたためよ。汝等、慈音に接する時彼は常に常人を装ひ智者の振舞をなさざるを見て、彼が如何なる力を有するかに迷ふならん。されど彼の力は常人の予測し能はざる力を有し居るなり。慈音の如く肉体の自由は奪はれても心の自由を奪ふことは難かるべし。真の自由は即ち心意魂魄の自由にあらざるべからず。又其自由ならでは真実の楽みとはならざるなり。慈音の如く肉体を棄てて魂魄に与へたる楽みあるによって肉体の苦は心に感ぜざるなり。汝等の称ふる不平不満の声を聞けばすべては魂魄の労苦にあらずして、皆肉体に重点ををきたる不平不満の声なり。肉体を離れて魂魄心意の自由を得ば肉体は如何に苦境に陥るとも其苦みは却て楽みとなるべし。是に反して心に労苦ある時はたとえ肉体に関して何一つ不足無くとも其苦は耐え難からん。魂魄にいましめの縄を掛ることなかれ。魂魄を自由ならしめてたのしき世界を現出せしめざれば天国極楽を見る能はず。汝等慈音に依て教へをうけて彼と共に天国の境地に上るべし。魂のぬけたる肉体はありても無に等し。
 民衆は肉体にして是を代表するは心意なり。天皇は魂魄ならざるべからず。 然して霊は是等全体を支配する云はば神とみなして此処に初めて国は安らかならん。然るに汝等の国土は霊を棚に上げ魂魄をすら等閑に附して唯肉体を心意に任せて、是が民主主義として如何でか国を安泰ならしむることを得んや。我儘の肉体を心意に任せて国の安穏を願ふとも是は永久に安かるべき道理なし。隣国の我儘者より狙はれて安らかならねば枕を高くして眠ることは難し。汝等の住居は戸締りを厳重にして臥せざれば夜盗の怖れあらん。然るに山里の寺院には本堂に戸締りも無けれど寺僧は平然として眠ね得るにはあらざるか。是等の事柄よりも肉体本位の世界の不安なることは推して知らるるならん。汝等真の平和を望むならば何故に正しき民衆楽土を建設せざるや。真実肉体を愛するならば心意に任せては永久の苦はまぬがれ難し。魂魄を霊に任せて其徳によって心意を働かせば肉体の大衆、肉体の国民は自ら安楽に如何なる深山幽谷にも或は往来繁き場所にても枕を高くして夢をむさぼる事を得るなり。

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