覚者慈音980  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の七   四光の世界  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音980
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
四光の世界



                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.5.13


 九流界世界に於てすら戦争はあらざれば七、六流世界は戦争などは夢想だに知らざるなり。相助け助けらるるは彼等は日常の任務なりとして是を立派なる行ひなどと感ずる者なく、当然の箏としてこな行ひつつあるなり。九流界は既に気光素電気のそなへありて八流界或は七流界、又は六流界との通信は行はれあれど、未だ交通の便は開かれざるなり。故に此道を開かんが為に苦心なし居るなり。八流界は既に其道開かれて七流界、もしくは六流界との往来を見て、其を知りたる九流界は如何にかして是をなさんとし八流界に攻め入り居るなり。
 斯くして九流界の人種は速に八流界或は七六流界迄の位置に上らんとして奮闘努力し居るに、汝等の世界は如何 ?
  寸土を得んとして見苦しき戦争をなし、平和々々と口先のみ内心は鋭き爪を磨ぐ猫の如き行ひを止めざるは不憫とや云はん。愚とや云はん。九流界の人種の如く早くめざめざればやがては滅ぶ汝等の世界の人種なれば、国を広むるとも地球全土は膨張して二倍三倍とはならざるべし。利己主義利家主義利国主義を断念して、せめては利地球主義を鼓吹せよ。全宇宙より見れば一億倍の顕微鏡にて見るもけし粒にも及ばざる世界に土地を争ひて騒ぐ汝等の智慧の小さきには蟻も苦笑するならん。
  大慾は無慾に似たりとの諺あれば、我等は斯る及ばざる行ひはなさずと云ふか。汝等は如何に頑迷なる人種なるか。汝等の欲する慾とは一攫千金主義の望みなるべし。斯る物欲は大慾にあらずして退く慾と称する退慾なり。己の天分を知らずして過分の慾望に走るを誡めたるならん。然れども大慾を得んとならば先づ無慾となりてことをなさざれば得難しとの教へなるべし。即ち小我を捨てて大我を得よとの譬喩の意味に合ふなりと我は思ふなり。其は兎に角、汝等長者の万燈より貧者の一燈をよくよく翫味し見るべし。長者とは真の長者を云ふにあらずして富者のことを指したるならん。即ち富者の万燈貧者の一燈と云ふなるべし。汝等は長者と富者を混同なし居れり。長者は徳高き人にして富者とは雲泥の相違なればなり。富者とは唯己の有する財宝の価値より定められたる光明なれば、財宝尽くれば其光は消滅す。是に反し貧しき人の光明は物質にあらずして人徳の光なればその輝きは永久に消滅せざるべし。是を四光の法則より説明せば貧者は長者にして富者は貧者の関係となるなり。是順視と逆視が同時に行はれたるなり。釈迦キリストは即ち貧者の一燈となりて今日に至るも消滅せず、赫赫として輝きあり。然して今後も尚光は絶えざるべし。汝等が称ふる民主主義は富者の万燈に等しければ、やがては消滅して光は失はるべし。是は四光の法則に反するに依てなり。汝等が用い居る正しきと云へる文字は上下一体の形を現はしたる姿ならずや。即ち上下和して正しく是を行ふを政と云ふ。然るに下よりもり上る力は或一定の地点に達すれば静止して其後は次第に低下するは三宝の法則なる故なり。



 

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