覚者慈音914    未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の五  第五の明鏡 その3 教主寛大講義



覚者慈音914
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その3



                教主寛大 講述
                2019.331                        189番


 今や汝等の世界の状態は妬みと羨みの度強くして争闘の絶えやらざるのみか、果は国を亡ぼし、家を失ひ、職を失ひ、餓死する者数を知らず。然して強き者は弱はきを虐げ是をいたはり助けんとする念を起さず、其惨状修羅の巷と云はんか、蛾鬼道を現出して阿鼻叫喚の声喧(かまびす)し。是即ち神の道をふまず、神の法則を守らざるによりてなり。
 例へばアメリカは強国なるによって世界中を併呑して全土をアメリカに帰せしめんと諮るとも、其は神の道、神の法則に反するを以て到底宿望を果すことを得ざるなり。米国は米国としての分を守り、日本は日本としてその居に順ずるに依て、互に相和し相寄りて永久の平和は保たるるなり。即ち地球を一つの肉体と見なす時、アメリカを腹とせば、日本は眼に属するか、或は鼻に属するかの関係ありと仮定して考へ見ば、皆其々の国々を其順序に思ひ合はせて互に持ちつ持たれつして生活せば、地球の肉体は健全に発達し八紘一宇の本分を持続するは火を賭るよりも明白ならん。汝等今後の生活を安らかならんと願ふならばその心を心として神の定めし法則に従ひて進むべし。
 神の道、神の法則が一ならば何故に多くの宗教者が現はれて、甲論乙駁し今日に至るも未だ一致を見ざるは何故なるかとの疑問も、其国々の人類人種によって受くる風俗習慣より、人類宗教とも云ふべきものが予測と案出と又は推理等々より勝手気儘に斯くあらんかとの都合主義が組織され、或は斯くせざれば国は優勝劣敗に終るやも計られじ。故に是を神に帰しをかんとの観念も伴ひて現出したるもの多ければ、道は数多現はれて人類を惑はすなり。例へば高き山に登るにも安楽の道を作りて安全ならしむれば可ならんに、娯楽的に険しきを作り、時間つぶしに遠曲を作る等数々の道に却て人を迷はす結果となるに等し。

×

非ログインユーザーとして返信する