覚者慈音912    未知日記 第六巻 光明論    上巻 光明論 巻の五

覚者慈音912
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その3



                教主寛大 講述
                2019.⒊30                        187番


 さて二個の光の説明は解決せらるる毎に、汚点は消滅して清浄なる光を放ちつつ尚も疑問の説明は下さる。第四の鏡の曰く、人間の中に神の法則にそむかざる者と、神の法則にそむく者とあるは何故ぞ。又人間界に神は何故苦しき法則を作りしやと不平不満を称ふること勿れ。今迄説きたる解答にてほぼ推知したらん。されど汝等が見たる処の事柄は総て表面にして神髄の道理を把握したるにはあらじ。無極無即絶対無と、相対無との順路をよくよく見究めよと。今鏡の言葉の如く汝等は、絶対無と相対無の順路の動行を無関心にて見過し居れり。その順路をよくよく見るべし。無極無の動行によって生ずる無とのつながりが恰も一種の名伏すべからざる或種の動波がただようを見るならん。然して其繋りに依て無機物は造られ進んで有機物を編出なし行くなり。故に絶対無と相対無の連繋(つながり)こそは、汝等が云ふ電気の本体とも云ひ得らる。されど是は万般の働きありて、電気の如き限度を有する小部分の類に属するにあらざるなり。故に絶対無より相対無に至る範囲は非常に多き事と知るべし。絶対無即ち無極無に帰せざれば神の世界には到達なすこと難し。されば此境地に至らんとせば相対無、即ち有極無の地点に到達したりとて及ばざるなり。その無極無に達せんとならば神の法則を遵守して、更に努力し人間性に化せざれば其境地に到ることは難し。
 汝等人の姿をうけたる以上是に霊を加へて真の人間とならざれば、有極無迄上りて再び三度動物に顛落する憂目を見ること疑ひなからん。汝等己が持つ肉体について考へ見よ。無極無より有極無と次第々々に造られて完全なる人身は構成せられたり。然して是が成人なし行くに従ひて肉体の部分に変調を来すも、是みな神の法則に従ひ神の道を経るによるならん。然るにこの神の道神の法則に従はざるものは何の原因によるかと云ふに、そは肉体慾に基因すると答ふるならん。さればその肉体慾とは何を意味するかと云ふに、即ち衣食住の関係なりと答へん。汝等生れ出でし時は裸体なりしなり。其が先づ衣を纏はされたり。然して食は母の乳なりし故に何等の苦痛も感ぜざりしが、稍々日を経るに従ひて乳のみにては空腹を感ず。斯くなるに従ひて口中に歯を生じ、人間性の食物を希むに到る。是より神の道に反する行為の初まりとなり行くなり。

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