覚者慈音908   未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の五  天地創造の妙  教主寛大講義

覚者慈音908
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その3
天地創造の妙、太陽と惑星は如何にして出来たか



                教主寛大 講述
                2019.⒊29

                   183番


 今第五の明鏡に見たると第四の明鏡に見るとの相違についてよく心し見よ。第五にては外周より内部に向いて唯明るくなり行きしを見たるに止まりしが、第四にて見る時此光と見えしものが光にあらずして、様々の不思議なるものが現はれ居るを見せ居るならん。即ち有無を伴はざる無より有無に通ずる無は現はされ、然して有は次に現出なしつつあるを見るならん。然して有無によって組織と破壊は相互に現はれあることをも亦見らるるなるべし。鏡の曰く、神の力はもとより自由自在なり。与へずして動ぜしめつつあるなり。此作用に依て総ては増減変化す。即ち神の道、神の法則は是等に基きて生じたるなり。動によって増減変化するは神の道、神の定められし法則にして、人類はもとよりすべて動植物に及べり。されば神も動なり。人も動なり。神と人とを結ぶは空なり。空又動なり。故に神の道とは空に帰すべし。空は動なりとせば動も亦神の道、神の法則を造りし源となるは理なるべきなり。有無を伴はざる無も動なるによって是が霊光として無極無辺の働きをなす。是ぞ智慧の根原なり。されば有無を伴ふ無は即ち霊にして無に通ず。
 換言すれば霊光より霊に通ずるなり。故に智慧は無の動、無の働きなる事は頷き知るを得たらん。神は無を作り、其無は無を造り、更に有を現はし有の作用は更に有無の働きによって諸々の動作を行ふに至りたり。是に依て否是に順じて汝等すべてにわたって考へを廻らし見よ。心意魂魄及び霊に至る迄みな空なり。空も動なるが故に働きて智慧を生ず。其智慧と云ふは何なるかを仔細に観察し見るべし。
 鏡の曰く、今明るき世界に入り来りし質問の二個の光は摩擦に依て汚れは清浄されて外観の濁りなく、内部に汚損の影を見るのみなりと。所謂我の質問のうち既に明るき世界迄に、既に回答は与へられて未だ説明の余地残れる処は混濁なし居るなり。有無相伴はざる無の動こそ神の作りし絶対の法則、絶対の家なり。此法則より無有を作り出せしは、有形に化せしめんが為の無形の働きにして、其無形が有形を現はせしによって道は二すじに化せられたり。然れども此両道の頂点に達しなば一となる。是始めの分岐点に到達せしによる故なり。されば此両道は即ち神の道なり。されど此道を歩むにあたっては法則を造り与へずば迷ひを生ず。何となれば行くべき道、亦帰るべき道の二道となり居るによってなり。行くべき道を帰るも神のもとに帰るを得ん。されど行く者と帰る者と交々交はらばここに迷ひの生ずるならん。帰るべき道に於ても亦同様なるべし。故に行く道を行く者、帰るべき道を帰らしめん為には目標を定めて、是を明白に知らしめざるべからず。この標示こそ即ち、神の法則なりと知るべし。然るに神と人類との距離は余りにかけ離れたるを以て、其間に無より生ずる有あるが一種の妨害をなして、此処に零点零の点を誘導す。斯く語らば汝等は云はん。斯る妨げる物を神は何故に作るやと。是は一応道理の如く聞ゆれど汝等人類は人類本位の考へにして他のすべてを思はざるに依てなり。

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