覚者慈音900  未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  数遊び  教主寛大講義

覚者慈音900
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その2
一体の力、一如の力、そして皇統連綿天壌無窮の宗教について



                教主寛大 講述
                2019.⒊25                         175番


 


 例へば汝等が国日本に於て、昔の如き意味極めて深き天皇宗教とも云ふべき天皇を拝せば眼を失ふとの観念を与へし天皇宗教なりしによって、無縁の働きと有縁の天皇との力にて国も民も治まり、国内いささかの動乱ありとも国は保たれたるなり。若し現在の如く天皇を見せしむれば天皇とは我等と何等変りたる処なく、彼も人なりとて軽視する結果は三千年は保つことを得ざりしならん。
 徳川は天皇宗教を破壊し初めたる結果、今日の天皇教の破壊者なりしと云ひ得らる。又欧米文化と他の宗教も日本の宗教を破壊したるなり。此天皇宗教を作り上げたる高麗百済人是を援助したる唐人と古代の日本人のうち智慧の優れたる者にも亦、琉球人などの力も今や水泡に帰せんとなしつつあるは実に惜むべき事なり。人の心は反射力によって発展す。故に宗教は是を応用して向上を計りたり。
 汝等は神を見ざるが故に神を慕ひ求むるなり。若し神を見たりとせばその満足によって却て修行は遅鈍とならん。思ひ叶はざるむ間こそ楽しかりしと見ることを得ん。秘伝をゆづり受けんとして師よりの誡しめに従ひある間こそ楽しくして秘伝を受けたれば斯ることなりしかと却て失望なすものなり。故に天皇は活神なりとして奉りあればこそ、民は敬神に充たされて君の為には生命も惜まじ。天皇は神の御子なれば死しても神の御旨に合ふと云ふ真心の現はるれど、天皇も我等も同様の人にて然も優れし智慧なしとは神の子孫とは思はれずなどとの心を起し、果は天皇を軽んずるに至るは是重臣等が悪きによるなり。又人間は貨幣に囚はれて物質本位となり私利私欲を恣になさんと日々是等に囚はれ追はれて精神の修養と云へば、何か考案工夫して珍らしきものを発明し其によって一儲けせんなどと一も金、二も金と、金に追はれて国の平和世界の為などは口先にて事実は金儲に囚はれて、神などは棚に上げて蜘蛛の巣に任せ居るによりて、天皇宗教などはものの数ならねば自然に亡び行くは是非もなきことなりと諦めて、此儘になしをきて皇統連綿天壌無窮の宗教を絶えさすれば世界の平和は望まれざるなり。

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