覚者慈音893  未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の四  第五の明鏡 教主寛大講義


覚者慈音893
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その2



                教主寛大 講述
                2019.⒊ 23                        169番


 今いささか現はれ来りたるものは汝等の眼にも映ずるならん。是は不動気の中を通過し来れる動気の摩擦に依て生じたる一種の光にして、即ち智慧の現はれなり。所謂智慧の光明の源動なり。此光明は普く全宇宙に充満してあまねからずと云ふこと無し。されば全宇宙は此光明に浴して総ては救はれ居るなり。此光明の流れによって不動気と動気の摩擦より発して空源力となり、結して引力圧力に転換さるるによって種々様々の胞子を造り出だし、其胞子が集りて気光素となり、又光気素となり、更に其働きによりて胞子の集合に変化を与へて物体が組織となり、又破壊となりて形を有するもの、其形を有する物の上に動植物はおかれて今日に至りたる有様を、此明鏡によって汝等に見聞せしめたるなり。セイキョウ、テツシンが説明せしを是にて知るを得たるならん。汝等如何に筆舌の才能ありて是を巧みに使用すとも此鏡の威徳を後輩者に認識せしむるを得ざるべし。然るに事実を眼のあたり見聞なし得たる喜びを感謝せよ。斯くして汝等の世界と汝等の兄弟は現はれて生存なしつつあるを感謝せよ。又今後汝等が進むべき道も知ることを得たれば、大なる希望の輝きに充たさるるを味ひつつ道をふみ迷はざらんことを願ふべし。


 霊光に浴して汝等は生涯を全うす。故に此霊光の定まりある肉体はたとえ如何なる危難に遭遇すとも命を失すること無し。霊光転ずれば如何に此世に存在を願ふとも許されずして他に移さるるなり。是を汝等の世界にては寿命尽きたるならんと称へ居るなり。是は死するにあらず、他に移さるるのみなれば悔むに足らず。汝等此明鏡によって霊は霊に通ずると同時に、霊は他のすべてに通ずることも亦知り得たるならん。是に順じてすべて汝等が世界の事柄に対して理非曲直を明らめ得る力を養成せばすべては清除さるること疑ひなかるべし。霊は魂心意魄を造り更に肉体を組織したるにより順次此理より解釈すれば肉体組織も従って判明せん。されば又是によって世の中の不思議も自づとその謎は解かれて迷信妄信に陥る憂も消滅せん。然ありてこそここに人間の人間たる道を明白に認識なし得て悟道を得るなり。覚りたれば何等不思議はあらじ。悟らざる故に迷ふなり。我は汝等をして早く天界に導んがために教ゆるなり。そは我、神より命じられたる使命なり。唯汝等に宗教者の如く後生を得せしめんがためとか、且つ又人間界に於ても人類が勝手に定めたる約束に従はしめん為にもあらざるなり。

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