覚者慈音892   未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の四 第五の銘鏡  教主寛大講義

覚者慈音892
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
第五の明鏡   その2




                教主寛大 講述
                2019.⒊ 23 
                                168番


 限りなき高さと底知れぬ深さと、はてしなき広さとを有する全宇宙を統轄して無極無辺の力を見するこの鏡は、汝等の小さき眼(まなこ)にては到底その極致を見る能はざれども、その一部を否その一漠(漠とは、10-12(1兆分の1)であることを示す)を知ることを得ば、汝等の望みは達するを得ん。
 第五の鏡は霊光即ち空源体性にして空源力を現はす源とも云ふべきなり。汝等目前に現はれ居れる明鏡を見て、先に見たる第一第二或は第三第四の鏡と同様の如く思ひなして鏡の存在を探ね求め、眼を彼是と転換せしめ居るは笑止なり。鏡は目前にあるなるに気附かざるか。先に見たると今見ると既に同様ならざるに惑ひ居るならん。鏡は運行を初めざる限り汝等には何物をも見る能はざるは、汝等の修行未だ至らざるによりてなり。故に我、是を説明して語り聞かせん。
 前にもテツシンが説きたる如く又セイキョウが語りし如く、空源体性或は不動気動気の説は是なり。今鏡は神の霊光威徳所謂智慧の光明を送り居る様が銘鏡に映じあるにて肉眼に映る光の光明ならねば汝等の眼には映ぜざるなり。智慧の光明はすべてに通ず。故に言葉ともなり、或は働きともなり、又力ともなり形ともなり、すべて森羅万象叶はざるなき基礎とも云へるは即ち此神の霊光なり。神の智慧なる、眼にこそ見えぬ此働き此力は、非常に豁達且つ迅速且つ微妙に動躍々動しつつあるなり。若し汝等が眼開らけあれば唯驚嘆の他なかるべし。今暫時静かに拝せよ。やがては汝等が眼にも映じ来ることあらん。

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