覚者慈音890   未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の四  完全なる頭腹一体させるための脊髄の役目  教主寛大講義  脊髄の役目

覚者慈音890
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五
完全なる頭腹一体させるために脊髄の果たす役目



                教主寛大 講述
                2019.⒊ 22
                    166番


 草木は葉梢から枯れ行き人は足より衰へ行くを知るならん。然して根は最後に枯れ行くなるべし。草木の根と称するは地中に在り。然らば人の根は何処にありやとの考へに及ばば汝等に於ても頷く処のあるならんと我は信ず。されどその頷く処の頭は果して根に帰せしめて可ならんかと云ふに深く思ひを致して其真偽を確かめずば、人根の一大事を認識しその妙味を味ふことを得ざるなり。されば頭を根と見るべきか、或は足、或は腹を根として見るべきか、正しきを択ばざるべからず。或人は曰はん。道を歩むと云ふは足なれば足は根なるべしと。又或人は云ふならん。気海丹田して腹を整へ深く座して大根をかたくせよと云ふからは、根は腹にあらんと。然らば人根は足腹頭すべては根と云ふ結論に達するなり。汝等は何れを正しとなすや。
 禅僧は云はん。人根は足にもあらず。又腹頭にもあらず。即ち汝に在りと。そは一見理に似て理にあらず。空論にして逃口上なり。汝等が日本にて昔の人はよく云ひたる言葉に、かの人は極めて根性の悪き人なり。頭に「つじ」二つありと云ふを聞けり。根生とは根に生るとの意なれば、根は頭と古人は見たるならんか。茲に於て観察を下す時、人の身体の根は腹にして、霊体の根は頭なりとの結論を得るに至らん。然り。正しき解答は其なり。



        人根は如何なる役目を有するか


 
 此処に人根の理明白となる事とせば、さて此次に考ふべきは人の根とは如何なるものか。又如何なる働きをなすものなるかに思慮を廻らさざるべからず。人の根とは即ち其人々の有する個性なることに気附くなるべし。個性は汝等の考へし如く根を指したるなり。天分を意味す。故に人には根の相違あることを覚ることを得ん。霊と称へ居れる魂は一切平等なれど人根の相違あるによりて貴賤謄卑の区別も生ず。されば其根の如何なるかを考察せざれば天分天職は判明せざるなり。根を植えて是を培養して其正しき発育の様を見て、此結果を判断して是を正しくなさざるべからず。是を要するに先づ人身の根を健全ならしめずば、この零の根は発達せず。又零の根を健全ならしめずば人身の根は発育を阻害せらるる憂あり。故に零心の根を完全に融和せしめて両道を一体ならしめてはじめて正しき発育を見るなり。
 両根一体ならしめるには頭腹を一体にして、常に相互の融和を計る方法を択ばずば他に道はなかるべし。汝等は是にても未だ合点するを得ざるか。ここに今一つ汝等に注意しをくことあり。そは汝等が頭腹一体の法を行ふ状態を見るに、前面にのみ囚はれて背後に心せぬは宜しからず。背後には脊髄と云ふ大切なる処あるを汝等も知り居るならん。頭腹一体ならしむるに、前面にのみ囚はるるにより完全なる統一をなす能はざるは当然なり。即ち頭腹を一体ならしむる仲介者の役目をつとむるものは脊髄なればなり。僅かに一本の細き骨にて全身を支へ居る大切なる柱こそは人体に取りても人根に取りても重要なる事に心して是をなほざりになすべからず。霊的より説明するも亦背柱は如何に大切なるかはテツシンは感応論にて説きたれば此処には省略割愛すべし。

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