覚者慈音879    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  教主寛大講義

覚者慈音879
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五

念力と神通力


                教主寛大 講述
                2019.⒊ 13
                     156番


 大衆、心を一にせばその働く力は極めて大なり。是ぞテツシン等が言ひし気光素の現はれにして気光素が此処に働けば其に対して又神通力を伴ふ。神通力とはテツシン等が云ふ空源体制の事なり。若し日本国民が正道の戦争を起して一億の大衆が一致なしたらば気光素の働き強くして神通力を誘導し、真の神風起りてアメリカを敗退せしめたるなり。されど不正の戦争を大国にいどみ、大衆は四分五裂となりて気光素の力も四分五裂と働きをなして空源力も亦微弱となれば、神風の生ずべき道理もなく、遂に今日の悲惨なる憂目を見るに至りしも己より求て最初より敗退を招きしは蟷螂の斧を振って牛車に向ひしに等しく、敗退は火を賭るよりも明白なりしなり。
 其は兎に角として気光素と空源力の関係は根と葉の如くにして即ち根に依て葉分布す。故に本末すべからく種に帰するは法則なるべし。されば空源力に依て気光素は生じたるとせば、気光素の力と空源力の力は働きの相違より推して察するを得るならん。然して気光素は縦に働くとせば光気素は横に働くとも見らる。斯くて是等の二素結合して働く時、空源力は縦横に力を働すとも見て可なるべし。されば気光素は縦の働きを有するに依て如何なる物体をも貫徹するなり。故に念力は如何なるものをも貫き通すとさとしあるなり。然らば光気素は何に相当するかと云はば我は心の力と答へん。何となれば心ありて後に来るは念力なればなり。心力は広ければ横に通ずれども念力となりて縦に通ずると云ふ理論も亦生るるなり。心、念、一体となりて此処に初めて空源力の働きを見るに至るなり。汝等が仮に他人の身の上を自分の心にのみ思ひ煩ふともそは通ぜざるなり。是を念力にて思ふならば必ず通ずべし。是心力と念力の差に於ての相違は縦横の関係に依ると知るべし。
 我、彼のことを斯く迄思ひ居るに先方は何等の感じなきは遺憾なりとの言葉はよく耳にする処なり。是を念力にて思はば必ず彼に通ずべし。故に悪念を残して他を怨まば死後に至っても念は残りて、恨みを果す迄は消滅せざるも此理に他ならず。世に云ふ幽霊とは是にして霊魂にはあらざるなり。

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