覚者慈音878    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  教主寛大講義



覚者慈音878
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の五 
明鏡篇  その五



                教主寛大 講述
                2019.⒊ 13
                     155番


 実に栄枯盛衰は汝等の世界にのみ多くして天界には斯ることはあらざるなり。今汝等の国(日本)は亡ぼされて瑞穂の国はみのらずして将に飢餓に瀕す。人心は動乱して和合を欠き道徳は廃れ唯食を得んがために敵将の足下に跪き、或者は己の位置を得んとて天皇を離れて敵将に媚びを売る。恰も遊女の客に対するに等し。その醜態や眼を蔽ふものあるに至っては言語に絶するなり。斯くも腐敗せる人間の姿をなせし狐狸共に如何なる教へをなすとも耳を籍す者あらんや。されど中には人間らしき者も少しはあらん。是等の人は我教へを聴くべし。斯る有様斯る姿は何に依て現出したりしか。汝等はその理由を霊的解釈を下すや。是には種々複雑なる理由のそなはりあるは云ふ迄もなからん。されど我の曰はんとする処は斯る事にあらず。即ち人心の動乱によりて斯くも様々に変化するを霊的に説明するならば念力の衰退によると、又一つには念力は転換して他に移動するとによりて変動するなり。
 例へば此処に二カ所の観音堂ありとして一方は人気集り、一方はさびれて乞食盗人の宿となり居ると仮定して考へ見よ。相方共に観音と云ふに変りなき筈なるに、一方は栄え、一方は衰退するは何故ぞ。是即ち念力が一方に集中なし居る結果ならん。是は誰しも知る処、されど是を深く追求して考察し見よ。もとより観音と云ふものの力は相方同じ働きなりと思はざるか。同じならば信仰も同じなるべきに一方は香華燈燭絶えやらず。又一方は非人乞食の住家となる等の相違あるは不思議ならずや。此処に一人の山師現はれてさびれし観音の姿我枕元に現はれ給ひ、汝、我を信仰して来るならば汝等に福徳円満なさしむるのみならず、難病業病も治癒すべしと申されてかき消す如く失せ給ふ。斯る事は三夜に及びたりと、其土地の人に流布し三々五々参詣なすに至らばやがては百千と足を運ぶに至り、非人乞食は退散しやがて破損の箇所は復旧して旧に倍して立派となり、一方栄えし所は次第に衰退するに至らん。此事は汝等も屡々見聞したりしならん。即ち是等は念力の移動転換にして観音の威徳にはあらざるなり。すべて偶像信仰は此大衆の気光素の作用(はたらき)なればなり。

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