覚者慈音877    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  教主寛大講義

覚者慈音877
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四 最終章

そして第五の明鏡に至る法について


                教主寛大 講述
                2019.⒊ 13
                     154番


 心を抑圧して魂を輝すれば天界を見んと思はば天界を、地界を見んとならば地界は現出す。此理は汝等が世界に用いられつつあるラジオ、テレヴィジョンを同時に使用すると同様にして活動ぶりに及ぶ迄、手に取る如く見聞なすことを得るのみならず、距離なければ時間も無く空間も無き故に自由に現はす事を得るなり。汝等の世界に使用し居る電気すら一秒に地球を七回半余も廻る能力ありと云ふにあらずや。まして天界の働きに於てをや。
言はずもがな推して測り知る事を得るならん。然らば斯る場合抑圧されし心は如何になり居るかと云ふに、心は唯眠り居るものの如く見ゆれど実は然らず。唯肉体神経を働かす己の領域を休めて魂に和し居るなり。故に肉体は意魄により監督を受け居る為、外観の肉体は眠れる人の如き観を呈し居るなり。離魂して誰彼の処に至るとよく誰も語る事なれども実は然らず。修行者は離魂の法を行いて誰彼の宅、或はその目指す当人に魂の鏡を向くる時、先方はその向けられし鏡より放射し来る気光素、即ち念の力の波長が電波の如く伝はり、其が又更に電送写真の如く現はるるに依て、行者が来りしと思ふにて云はば人体電気の感受したるに過ぎざるり。さりながら昇天の行を修得して単独天界を許されし修行者は全く離魂解脱の法力を行ひ離魂をなす事を得るなり。是修行の力優れたればなり。今や汝等に於て第四の鏡を許され更に進んで第五の明鏡を許さるれば行の法も学べば必ず体得なし得ること疑ひの余地なし。されば汝等は今迄学びたる様々の行法を復習に復習を積みてすべてを我ものになして四鏡一体一様に磨き上げて何れの鏡と雖も明朗になして、何時て如何なるものも明瞭に映ぜしめ得るよう準備して此明鏡に傷けざるよう或はくもらす事なき用心肝要なり。是にて此篇を終りとす。



(昭和二十年九月二七日~十月三十日)

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