覚者慈音872    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四 教主寛大講義

覚者慈音872
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四
信心は神を導き、疑心には悪魔を誘う



                教主寛大 講述
                2019.⒊ 10
                       149番


 行法秘伝に説きたる魂心離脱の法について肉体と魂を分ちて種々様々の事を行ふ一種の行ひあり。是はすべての人に通ぜしむる秘法なり。されど是等を行ふには可なりの修行と信仰と努力を要す。故に万人悉く是を行ふことは難けれどもなさんと励めばなるは道理あるに依てなり。今汝等に説きたる人にも分てよの教への如く、念を深くして行ぜば万人悉くなし遂げ得らるるなり。されど此法は人を択びて教へざれば有害無益となるの怖れあるを以て秘伝となし居れるなり。されば汝等のうちには慈音がよしとして許すならば彼より伝授をうけよ。此理についていささか語る必要はあるによって語りしなり。何故第四の鏡に関して必要ありやと云ふに汝等鏡を見たる時、第三光明界に運ばるる魂と、第四光明界に運ばるる魂、さて第五光明に来る魂の相違によりて汝等は無関心にて見送りたるを我は知りたるによりてなり。即ち第四第三の界に流れ行きし魂には生霊はあらざるも、第五界には生霊の交りあるに依てなり。今一度鏡を見すべし。見よ。あの中には外部は美しくして内部は他の色と異なりて鈍き光ありて稍黒呼を帯びたるあらん。あの魂は死したる霊にあらず。特に許されて此界を見学に来りしなり。されば彼は特別に引き上げられて単独入門を許されたなり。視よ!  同様の魂は算ふる事を得るならん。他は悉く死して霊に誘はれたるもののみなり。故に修行と云ふ事の如何に難かしきかも従って頷かれたるならん。然して行徳は積めば単独入門の光栄に浴することも得らると思はば、行ずるにも亦一縷の希望は湧き出づるなるべし。されば汝等に於ても希望を新にしてせいせい修養修行にに一段の努力を望むなり。汝等眼を開きてあれを見よ。神の下僕に清められたる魂は前方に進むあり。後方に退きて又他の霊に守られて何れかに去るもあれど、我の示したる生きたる魂は清められて点火の吹き消されし如く消え失せ居るならん。かの霊は醒めたるなり。即ち夢心地より醒めて我に返りたるなり。他の魂には斯る事なきを見ても生死の区は明白に知らるるを得ん。鏡は是にて止むべし。

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