覚者慈音871    未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の四 教主寛大講義

覚者慈音871
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四
信心は神を導き、疑心には悪魔を誘う



                教主寛大 講述
                2019.⒊ 10
                       148番


 彼等は汝等の信仰の力の増すを見れば其に依って満足するならん。然るに汝等の信仰の力遅々として進まず。セイキョウ等の語るを聞けば唯己の不徳とのみにて夢にも汝等の信仰うすきを咎めざるはさすがに褒むべき者なり。汝等如何に感ずるや。人間疑へば限りなく信ずるも亦きはまりなし。善者と雖も疑へば其行ひのすべては悪の如く見え、悪人と雖も信ずれば善人と思ふなり。疑ひ深き人は信ずる力少なし。何となれば常に疑ひに馴れて信を求むる力薄ければなり。何事も疑ひの眼をむけて注意深く観察するによって信ずる能はず。生涯疑ひに置れて安からざるは疑ひの損失とも云ふべきなり。斯る人は他を欺く力も巧みにして其欺きが成功すれば己の智慧の勝れたりとなして心密かに驕じ居るなり。然して世の中の人はすべて愚者なりと思ひて己の利益の為には欺きの企てを計りて不知々々の間に悪魔を作り出して虜となる。恐るべきは疑心なるべし。されば欺くものは罰せらるるの結果となるなり。信心は神を導き、疑心には悪魔を誘ふ。人は人を欺けど、神は何をも欺く事をなさざるなり。汝等は神を欺かんとなすや。欺かんとなすとも神は欺き難からん。神とは何処にありや。汝の魂に問へ。汝は自らをすら欺く。されど欺きたる汝は後に悔ひを残すに至らん。己は己を鞭打つ結果なればなり。欺かれし汝の魂は何等の悔ひを受けざるなり。信仰は深くして念力を強くせよ。邪念を強くする勿れ。疑ひ強ければ邪念は増すのみ。四鏡一体として霊光に浴すれば信仰の念は強く働く。故に如何なる悪魔も是を犯すこと能はざるなり。念ずべし。念ずべし。神を念ずれば空源力は将に汝等を救ひてあやまたすことなく、汝等の身辺に危険を感ずる怖れなし。此念を他にも分てよ。他も亦救はれん。

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