覚者慈音867    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四 教主寛大講義

覚者慈音867
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四
四鏡一体の境地

足利尊氏と楠正成父子について


                教主寛大 講述
                2019.⒊ 07
                       145番


 平面的よりの考へによって此四鏡を推測せば、汝等が口に云はるる勧善懲悪の例にて説明せんか、例へば第一の鏡は親を殺されたる息子として、第二の鏡を仇討に旅立ち苦労を重ねて見出し、第三の鏡にては恙なく本懐を遂げて郷里に帰り、第四の鏡にては主君に再び召し抱へられ加増等ありて其家益々栄えたり、芽出度しとなるは、是平面の理論なれど今汝等に教へ居る四鏡とは斯る単純なるものにあらず。世の中は複雑にして善者は亡び、悪人栄ゆるもあり、又愚なる人に召し使はるる賢者あり。善人にして一生塗炭の苦みに終るあり。悪にして世を安らかに終るあり。千差万別算ふるに尽きざるなり。さればこそ此四大鏡の論旨も複雑にして一朝一夕に説き尽すを得ざるなり。されど是等は枝葉なれば根底を究むれば道理は従って判明せらるることを得るなり。
 汝等が国(日本)にて此比喩あり。即ち足利尊氏は其身を栄えて全うし。楠父子はみじめなる死を遂げ居るにてはあらざるか。汝等是を何と考ふるや。汝等は云はん。楠は神として仰がれ、足利は衆人より疎まると。果して其は相方の霊に通じ居るか否かには誰の証明ありしか。若し異国人にして忠君の道理を弁へざるあらば彼等は何と思ふかを考へ見よ。尊氏一人の力にて斯ることをなし得らるるものにあらず。是には幾百万の同類の力が加はりありてならん。正成にくみする者の乏しかりしを考へなば帰する処は帝の武運拙しかりしと云ふことに考へ及ぶなり。帝の威徳に傷けたるは文武百官の不忠にありたるに基因す。もとより尊氏は不忠の臣にして悪人なるが故に今の世も悪人の汚名は消えず。されど我の語る主旨は他にあるなり。誤解すること勿れ。
 正成と尊氏のとの智識の程度は相違ありて、尊氏は正成に及ばじとなすも分野に於て尊氏の人徳、人をひき入るる力は優れ居るなり。大衆の気光素は強く働き、少数の気光素は圧倒されて破れたり。されど尊氏は皇位迄上る気光素の力も亦分野も具はらざるなり。即ち不忠の民に依って汝等の国は破れたるにてはあらずや。其が果して善良なる国民か。尊氏を讒謗する価値ありや。深く反省せよ。若し尊氏にして其行動を正成の如く善事に傾き居りしならば後世迄美名残りて尊ばるるならんと汝等は思ふならんも、其は誤りにして尊氏は天分に逆はざりしなり。汝等はかく聞かば驚きしならん。されどそは驚くには足らざるなり。尊氏は毒薬として地上にをかれ、正成は良薬として地上にをかれたるにて敢て不審するに足らざるなり。

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