覚者慈音866    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 教主寛大講義巻の四

覚者慈音866
未知日記 第六巻 光明論       
上巻 光明論 巻の四
四鏡一体の境地





                教主寛大 講述
                2019.⒊ 07
                       144番


 学業を終へて今日は証書を授与さるる日なり。卒業の喜びは汝等も経験あらん。汝等は今後学園より浮世の荒波に船出する希望ならん。其船は世のために人のためにすべての為なれば、若し風波の為に船は顛覆するとも決して悔ひざる覚悟ありや。其覚悟なくんばあるべからず。己の魂も肉体も世のためすべての為に与へて悔ひざる覚悟して船を進めよ。稔りし米は人の為にすべてを投じて助け居るにてはあらざるか。汝等みのりし米とならんと努めよ。汝等四知の比喩を口にしながら尚も己の心の醜さをかくさんと努力すれど、四鏡の威徳を欺く能はざることに思ひを馳せよ。然らば四鏡の論理は認識することを得ん。
 四知とは云ふ迄もなく天知る地知る、我知る氏知るの四知なることは汝等口にしながら、人には見えずとて己の心の醜さをかくさんと計る暇あらば何故に是を是正せんと謀らざる。汝等如何に表面に厚き布を以て包むとも布を払へば汚れたる衣類は汚れたるものなり。何故に洗ひ清めざる。何日も洗濯を怠らずば、たとえ品物の粗悪なりとて恥ずるにも及ぶまじ。かくすより現はるることを知らば必要なきよう努力せよ。四鏡には斯くも正確なる働きあり。汝等是を欺くを得ざるなり。されば四鏡を欺かんと計るより寧ろ四鏡に和せんことに努めよ。然れば明光は次第に輝きを増して汝等の行く先を明らかに照さん。霊光即ち智慧(広大無辺の智)の光明は増すに従ひてその範囲は益々広大となり行くは疑ふ余地なし。汝等人よりものを訊ねられて即答なし得る智慧の範囲はきはめてせまからん。されど智慧の光明に浴するに従はば即答の範囲も広くなり行くも亦当然なりと知りて可なり。動物性の智慧を脱却して人間性の智慧を修得すれば僅かのことより争闘を誘導することはあらざるに、汝等の世界は未だ動物性よりのがれ出づる道を択ばざる故に争闘は絶えざるなり。是正しき智慧を求めざるによりて、物の道理を弁へざるに基因す。智慧の光明に浴したけば他を損ふを好まんや。慈悲の心はすべてを救ふ故にその報酬は自らも救はるるなり。是即ち自他共に救はるる力となるに依て、所謂一如の境涯に到達したることを知るに至らん。己、利を得んとせば先づ他を利せよと云ふは此理に基くならん。他の利を省きて己のみ利を得んと計らば却て自己が利を省かるる結果となるなり。心意及び魂魄個々の光明なる智慧には偏頗あれど、霊光には斯る事なければ四鏡一体となりて、霊光を誘導するに至らば自づと善の徳は従って生れ来ると楽みて行に専念すべし。濫りに彼是と迷ふこと勿れと誡めをかん。

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