覚者慈音851    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  教主寛大講義

覚者慈音851
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の四     
神の作りたる空源力の放送とは            
                                              教主寛大 講述
                2019.2.27

                          129番


 汝等の智慧は何れより来り居るやと問はば、汝等は直ちに肉体組織より現はる現象にして、若し肉体組織が破壊さるれば痴呆症となりて智慧は現はれざるに徴しても知らるる事実の証明あるにあらずやと答ふるならん。そは真を得たる回答なり。然りとせば仮に電波を受くる受信機とも見らるべし。機械完全なれば正しき報道を受信し得れども、機械に故障あらば明瞭なる報道は得られじと云ふに等しかるべし。人を受信機と見なして説明するは如何かと思へど是に依て説かば却て理解は易からんと思ふなり。今人間一人々々を受信機と見なし、其智慧を放送し来る凡ての事柄となすならば、高級の受信機は世界中何れの事をも聴き居る智慧にして拙劣なるは其土地のみの事情すら認識する能はざる者もあるならん。然して其劣悪なる機械も修繕と云ふ修養を与ゆる事によって或程度迄受信の智慧は得らるべし。然して其機械は全く効力を失ひて滅するとかせんか、是にて機械は全く使命を果したるなり。此処迄は汝等が称へ居る論旨にして人死すれば燈火の滅するに等しの理となる。受信機に相当する肉体を求ずば再び智慧の放送ある事無しとの理屈は是に匹敵せん。汝等今一歩足をふみ入れて此奥を考へ見るべし。
 因より肉体の機械が破壊さるれば受信は得られず。然して是迄の命数にて何も残らざるべし。されど又機械を求むれば受信は得らる。此受信の智慧は何処より来るや。是は云ふ迄もなく報道し来る処ありてなるべし。此報道し来るところ尽きざる限り受信機の智慧は働きをなすなり。此理を翫味せば神の作りたる空源力の放送が尽きざる限り智慧の受信機の働きは失はれざるなりと云ふ事に思ひ及はば、人は死しても何物かが残存することの理は自づと頷かるるならん。電波の機械に於てすら斯くの如し。まして人間に於てをや。

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