覚者慈音848    未知日記 第六巻 光明論  上巻 光明論 巻の四  教主寛大講義


覚者慈音848
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の四     
第四の明鏡に映る如意界の様            
                                              教主寛大 講述
                2019.2.26
                126番



 汝等蜃気楼の消えし後の様を見よ。多くの魂が周章狼狽その極に達し空間をさ迷ひつつ助けを求むる哀れなる様を。今是を憐れみて天界より神の下僕是を救はんとて立寄れど救はるる者は少なし。其多くは或は恐れて逃げ、或は悪魔と誤解して飛散し魔界に墜るあり。等級外の世界に顛落するもあり。人類の住まざる世界に落るもあり。彼等は長時の苦を受くるならん。鏡は是迄にて一応止め講義中必要に応じて見すべし。
 元来我の語り居る処にても汝等は今来りて真実を見聞せしと云ふにあらねば宗教者の説と同様ならん。故に亡者論は別として序なれば話しをく事あり。是は慈音についてなり。慈音の母は空中楼閣にて迷ひ居りしをミキョウ(今はセイキョウ)によりて救はれ、慈音が仏教信者なれば盲人の身で空間に迷はさるるは不憫なれば救ひ給へとの願望を容れて、ミキョウは救ひの手を慈音に差し延べしに初まりて今日に至りしなり。是も真ををくに足らずとあれば其迄なり。信ぜずとも可なり。其はともあれ、先に汝等に注意しおきたる人間は向上せざるべからずと云へる事を、此鏡を見るに先だちて考慮しをけよと教へたる理由について、汝等今この鏡を見て何か感じたる事ありしか。唯うかうかとして鏡に見惚れて斯る予備知識迄触れざりしならん。先づ鏡を見終りたれば静に考へ見るべし。第三光明界第四光明界は別として第五の光明界に至っては汝等に於ても無関心にてはすます事を得ざるならん。
 天より授り居る霊光を知らずして徒らに魂魄を別れ別れに働かせて気随気儘の生活をなして、やがて世を去るに当りて、地獄とか極楽とか天国等を聯想しながら息を引きとりて地球を離るる人はまだしも、中には地球の空間に蜃気楼を作りて迷ふものあるに至っては霊光の威徳は全く空しくなるに至らん。ここに於て魂を導くか魄を導くかに迷へる霊光は、唯其優れたるを導く故に霊光は何れかを残して去るか、或は魂魄の迷ふに任せて退くの他なし。斯くて霊光に棄てられたる魂魄は蜃気楼の消滅に依て行く処を知らず迷ふなり。我斯く語らば汝等は云ふならん。霊光は魂魄を誘導する力を有するならば迷へる魂魄を何故天界に導かざると。然り、我是等について説明せん。然らずば人間向上の道を辿る理由を明白にする事能はず。汝等をちつきて此ところを聴き覚るべし。
 我かねがね説き聞かせし如く霊光とは智慧の根原なり。されば魂魄一体となりて始めて霊光の徳は現はるるなり。魂のみにては魂の智慧、魄のみにては魄の智慧のみの働きに止りて、真の霊光の智慧の働きをなす事を得ざるなり。霊光は迷はずと云へども魂魄は迷ふなり。されば霊光は魂魄一体の境地に達したるならば、是を光明界に運ぶことをなせども、然らずば是を捨てて去るなり。取り残されし魂魄は脱穀となりて迷ふなり。世に云ふ幽霊とは此迷へる魂魄を指すなり。汝等向上の道と云へば財宝を作るとか、わずかばかりの人の為に尽して僅少の人より敬はるるを向上と考へては誤りなるべし。我の教ゆる向上とは魂魄一体ならしめて汝等が持つ智慧の光明を輝かして初めて人間の尊きを知れよと教ゆるなり。三つ児の魂百迄と云ふ名言を汝等は曲解なし居るは遺憾なり。三つ児より既に智慧を求めつつあるは生涯変らずとの意味なり。幼児時代より高き処を好むも智慧を求めんと欲する一種の現はれなり。天然の法則に順ぜんと欲するによりてなり。幼児が人に対して其が如何して、其からどうなる? 其から其からと追及に追求を重ね問ひただすも智慧を求むるしるしならずや。向上とは魂魄一如ならしめて霊光に和し三味一体となりて正しき霊光に化せん事に努力するにありとの結論に達す。然して光明の世界に入る事を許さるるなり。

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