覚者慈音847 未知日記 第六巻 光明論   上巻 光明論 巻の四   第四の明鏡に映る光明界に来たる数多の魂の有様  教主寛大講義

覚者慈音847
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の四     
第四の明鏡に映る光明界に来たる数多の魂の有様            
                                              教主寛大 講述
                2019.2.26
                     125番


 見るべし。空中に金色に輝く楼閣あり。多くの僧、身に妙なる衣を纏ひて三宝を供養し居る様、美しき花、香はしき香の匂い、妙なる音楽、然して此処に集り来る亡者の群を見よ.今迄ありし楼閣は消えて厳めしき人とも怪物とも知れざる者の集り居る処に嬉しげに来る多くの亡者、此処は消えては現はれ現はれては消え、位置も定まらず、今九流界附近にあるかと思へば、汝等が世界の附近に現はれ、月の世界の附近に現はるる等千変万化ならずや。是ぞ幻影の世界にして亡者は永久に安らかならざる幻の世界なり。宗教者の魂魄は大概此処に集りて迷ひ居るなり。正しき信仰にあらざるが故に蜃気楼を作りて、我と我迷ひ居るも不憫なり。汝等はセイキョウ、テツシンより教へられて蜃気楼の原理を知り居るならん。即ち極楽も地獄も天国も神界も人間、我と我心より作り出したる幻の世界、即ち念より働きたる気光素によりて生じたる蜃気楼なれば、永く保つことなく消滅して後は魂魄が迷ふのみの報酬を受くるのみ。斯る事は如何なる理由に基くかと云ふに宗教者は死後の迷ひを説きて臨終の苦を安らかならしめんと計る一方、生前悪行を防止する方便に過ぎざるなり。二千年以前の人類は此教へを信じて気光素を働かせたれど、現今の人類に対しては斯る事を其儘に信ぜしむるは難かるべし。又斯るあやまてるものを信ぜしめて滅後をあやまたせて何の益かあらん。仏教者の中にもさとれる者は是を知りて仏は方便と説き居れるを聞きても頷かるべし。又地獄極楽は人の身に在りと。我は宗教反対者にもあらず、即ち真実を語るなり。嘘言虚偽は宗教者の智慧によりて絞り出されたる組織なれば、仏教者の地獄極楽とキリストが説く天国に於てすら相違し居るを見ても知らるるならん。宗教者に云はしむれば宇宙は広ければ仏教者とキリストは別の世界なりと云ふならん。然りとせば無智の者ならば斯る説に迷はさるべし。されど我等を欺くを得んや。我念力にて空中楼閣を作りわずか過ぎて消滅したれば其後は何処に行くべきか。仏教者は五十年後に生れかはると云ひ、其迄は回向を怠る勿れと説き居れり。是等にも理由あり。念力減退すれば気光素の力は微弱となりて空中楼閣は消滅するを以て是を防止せんが為の回向に過ぎず。然れども其回向の効果は極めて薄し。我、是を説きたれども宗教者の妨害をなす意志はあらざるなり。何故ならば我の語り居る事も空なるにより如何に論議すとも水掛論に過ぎずして唯苦めらるるは何等知らざる慈音のみ。信ずると信ぜざるは汝等が智慧に在り。我は汝等に事実を教ゆるに止めんのみ。

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