覚者慈音839   光明論上巻 巻の四  117番 厳戒の辞  教主寛大講義

覚者慈音839
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の四     

  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.23
                        117番


 教主出座、厳戒の辞、礼拝


 
 春過ぎ夏去り秋空晴れて天高く明朗なれども、慈音の国人の心は暗澹たらん。優勝劣敗の末路は是非もなし。決して神を怨むなかれ。又落胆もなす勿れ。たとひ地下に葬られて脚下に踏まるるとも明玉は光を失ふことあらじ。何日かは取り出されて尊ばるるは明玉の威徳なり。されど落胆と反抗より自暴自棄に陥りて玉に傷く如き行為をなさば永久奴隷の如く取り扱はれて再び幸運の鍵は握るを得ざるべし。汝等は神は正しきものにくみすと教へられしに何故、我等に力を与へざりしかと語り居るを聞きて呆然たりしなり。神は正しきものにくみし給ふは偽はりにあらず。又虚説にもあらじ。汝等の国人は正しかりしか。正しからざりしか。敗北によりて知らるるならん。非は汝が国に在り。なし得べからざる戦争をいどみ、初めより破るる事を知りながら争ひしにはあらざるか。大凡因果の道理は歴然たり。実を結びて後肥料の足らざりしとか、種子蒔が時期を失せしとか、愚痴をこぼし天候の悪かりしなど神に迄恨みを抱く。何と云ふ愚なる人々の集合ぞや。憫なる者共かな。とは云へ真心より君国を思いて散り行きし若櫻、或は弾雨にぬれてはてたる老樹、花も開かず実も結ばぬは不憫なり。されども彼等は永久亡びざる神の徳をうけ居れば悔ゆることあらざるなり。因果の後に来るものは何なるか。即ち応報なり。報いなり。償ひなり。報酬なるべし。五穀を作れば借地料税金人夫の費用其他の経費を支払ひて作物を売り渡したる金額との差引勘定は如何になりしか。利益か、或は欠損か。汝等の国人の不満や如何に! 人間の規則には偏頗なること多し。戦ひて多くの人の生命を奪ひても勝利者は賞を多く受け、人命を少なく傷けながら敗北者は死を以て罰せられる。その報ひは不公平なり。何となれば人間界の最大の罪罰は死に尽るならん。
 然るに罪なき善良の人を戦はすれば相方が死するならん。所謂罪なき善人が最大の刑罰に処せられたるにはあらざるか。然りとせば神は人間を造りて斯る矛盾をなさしむる運びに至らしめたりとせば自然は如何に解釈するは正しきか。又神の作り定めたる善悪とは何れが善、何れが悪なるかと判断に苦むならん。我、汝等に問ふことあり。
 人、人を殺せば殺したる者は罰せらる。然らば地震とか風水害によりて多くの人命を失はば何をか罰すべきか。是に対して明確に答ふる者は無かるべし。然らば汝等は数万の蟻を脚下に踏み殺して賞罰さるるや。又蟻は人間を処罰すべきか、処罰することを得るかと考へあはせみるべし。汝等斯る小なる事をと一笑に附して排除すること勿れ。人間に生あれば蟻にも生あり。生と云ふ意味には何等異なる処あらんや。汝等毒ガスを散布して多くの人命を奪ふことを行へど、一年丹精して作り上げたる作物を一瞬に喰ひあらす浮塵子(うんか)に対し、何故毒ガスを用いざる? 汝等は智慧薄くして天変地異を知ることを得ざるに依て是を未然に防ぐ能はざれど、天変地異は事なくしては偶然に来るものにあらず。汝等此理を知るならば何日幾日地震来るを、又程度の大小地方の位置等々をも予測するは難きにあらず。然るに天災とか神の怒りとかに帰せしめて諦め強いて研究を進めんとなさざるは愚も亦甚だし。自然を知らば判明するなり。蟻は人間の姿を見るを得べけれども智識を測定する事を得じ。人間は神の姿すら見るを得ざるに如何でか智識を計り知ることを得んや。汝等の肉眼はありて無きが如く、紙一枚の隔あれば既に其向は見えざるなり。耳又然り。僅か二万の高周波を聞くに過ぎず。八以下の低音波を聴くに過ぎざるならずや。斯る不便不自由なる眼及び耳にて物を見聞して正確なる姿、正確なる声を聞くことを得んや。智識の眼、知識の耳ならでは真正しき見聞のさとりは得られざるは当然なり。智慧の眼を開き智慧の耳にて我説く処を聴け。

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