覚者慈音836   光明論上巻 巻の三  114番   教主寛大講義 頭腹一体の理

覚者慈音836
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.21
                        114番


 眼に見えざる空気にすら種々の融和する化合物にて大なる働きをなし居れり。是にても法ありてなり。故に又法をときて分解するを得るなり。されば精神上に於ても結ばれたるはほどき、ほどかれしは結ぶの法なかるべからず。此法とは如何なる事をなさば可ならんかと云ふに、敢てむづかしき事を考ふるの用もなく、又斬新奇抜なる説をなすにもあらず、唯一方に偏せざる度量を養成して心を広く大ならしむる修養を重ぬれば是ぞ法となるなり。
 太陽は宇宙全宇宙を守りて誇らず。憎みて偏頗の処置をとらず。愛して特別の行にも移すことなし。斯る大なる恩恵を受けて、人は太陽に感謝せざるも敢て咎めず。人は太陽に不平を称ふることはなせども感謝を捧ぐるは稀なり。されど太陽は怒らず。汝等太陽の度量程に大きくならずとも、せめては汝が座し居る部室の空気程の度量を広く養へよ。汝等の座敷の空気は好き嫌ひの人を別段区別することなく、平等に融和し待遇なし居るにてはあらざるか。汝等も空気の努力を養へよ。原理を究め居りても尚割り切れぬものの残りて気にかかるは、即ち度量の狭小なることを表はしあるによってなり。故に度量を拡張せしむる法を修行せざるべからず。即ち胆力を強くすることなり。是にも腹力を強くするによりて胆力はすはるとの教へは、汝等も既に聞き知る処ならずや。
 第三の鏡の業を受けて光明に浴するを得たる者は、此気にかかることについては注意せざるべからず。そは稀には気光素の働きが汝の心に感じて何かの知らせあるやも計り難ければなり。即ち汝等が称へ居る霊感のある時、或一種の不安を伴ひて身にいささか寒気を催して唯何となく気に懸るなり。是は気光素の働きて何かの報道ある前兆なるやも計り難ければなり。斯る時は一層丹田に気力をこめ、頭脳を平静にしてその報道を受くべし。然らずば報道を聞き洩らして身の大事なるやも知れざることを徒労に帰せしむる恐れあればなり。この現象は汝等が倦怠を感じ、いささか睡眠気を催したるとか、或は一つの仕事に熱中し居て手を休めたる時などに起り来ること多し。その姿は統一をなさんとしてなしたるにあらずして、不知々々の裡に自づとなされたる統一なるが故に気光素は完全に働く自由を得たる故なり。汝等は統一を行はんとて行ずるに依てその行はんと云ふ思ひは既に統一の妨げとなり居る故に統一をなし遂げ得ず。又是が邪魔となりて気光素の働きを阻害するため気光素は働きを停止するの止むなきに至るなり。故に改まりて統一の時間を求めずとも一日中頭腹一体ならしめて頭脳を明朗になし居らば、其にて統一は全きを得たるなり。然して物に拘泥(こだはら )ず思ひを広く貯へ動ずる事なく無頓着とならば、腹任せ神任せの業はここに初めて達成を見たるなりと知るべし。

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