覚者慈音834 光明論上巻 巻の三  112番  教主寛大講義 頭腹一体の理

覚者慈音834
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.20
                   112番


 有限性と無限性の区別を知りたらば是を変更せんと計る時、平面自然のみにて是を正し得るものに対しても余りに深く考慮にすぎて、立体自然の法則によらんと計りて失敗する例は少なからず。故に先づ平面の法則に従ひて試み、ならざれば更に立体法則に移らば必ず成功すべし。負ふた子に教へられて浅瀬を渡ると、汝等は口になし居る事を実行に移すべし。燈火を吹けば消滅し、炭火を吹けば益々火力を増す。用法の如何に依て斯くの如き相違あり。試みざれば些細なる事にて大なる誤差を生ず。空源力は気光素を働せ居て微妙なれば、注意に注意をなし工夫に工夫を重ねざるべからず。細にも無限にして大にも亦無限に働く故なり。汝等の失敗を重ぬるは大抵粗忽よりの結果なり。粗忽は思慮の至らざると油断より来るは云ふ迄もなし。表面の運命は相対なれば注意し居らざれば時期を失する事あり。後に心づくとも既に及ばざるなり。絶対は斯る心配ある事なし。されど是にすら支障を来すなり。何となれば運びの程度をあやまりて天分迄の行をなさざる結果、みのりの程度を減少に終らす事多ければなり。故に汝等は受けたる使命を忠実に悟り労力を惜まず、完全なる結実を全うすべし。魂魄と心意の融和を完全ならしめずば、何事も初期の目的を達する能はず。是が融和を計る方法として魂心一体魄意一体となり、ひいては魂心魄霊肉一体ならしむる工夫を必要とす。是には頭腹一体の行ひにあらざれば他に方法はあるべからずと云ふも過言にはあらざるなり。根を深広に下したる草木ならでは繁茂せざるは汝等も知る。信仰を深広にせざれば智慧の光明は広大に輝く事かたきは理なるべし。人里離れし山腹に庵を結び世間との交通を断ちて何等の娯みなかるべしと思はるる生活をなし居るを、汝等は車窓より眺めて羨しく感ずるか。又彼等の境涯を不憫と思ふか。住める者の心理状態を彼等が口より聞かざれば定かならざるべし。伝統的習慣ほど強きものは稀なり。汝等の修行修養の至らざるも習慣に妨げらるるの多きも是なり。汝等の日本にすら山間深く住みて交通あしき為敗戦を知らず、営々働きて勝利を祈り居る不憫なる者もあり。
(昭和二十年九月甘六日)

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