覚者慈音832  光明論上巻 巻の三  110番  頭腹一体の理教主寛大講義

覚者慈音832
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.18
                   110番


 所謂身心共に満足すれば運命開拓せられたるならん。何となれば身心意の如くならざるによりて不平不満を生ず。不平不満さへ無くんば其にて満足は得らるるならん。満足すれば運命は開かれたるなり。不平不満なき人は福徳円満なる幸運者なるべし。世には財宝を身分不相応に得て却って是が苦労の基となりて命ををとし居る例も少なからず。されば己の身心を満足せしむるに依て其人は始めて福徳円満の地位に達するを得たるならん。
 たやすく成功ししたると、労して成功したるとには結果に於て格段の相違ある事は、皆よく知る処なれど世には無駄事に労苦する者多し。なしてならざる事なし。遂げんと計るは無分別なり。然るに世には迷信者多くして自然の大義をわきまへず。祈ればならざる事もなると信じて空虚の信仰より神を頼むは浅薄なる信仰者なり。如何に願ふとも理に合はぬ願は成就することを得ず。神も聞き届け給はざるなり。されば迷信正信の区を明らむるには空源力の尊さを充分会得して我物になさざるべからず。空源力を知るには自然の理を明らめずばその徳に湿ふことかたし、故に自然に順応して他に心を奪はるることなくんば、自づと空源力の徳はそなはり来りて恵を深くす。是を仏教者は教外別伝と称へ居れり。その験あるを自得見性したりとて歓喜の声をあぐるなり。相対自然は動じて動じ、絶対自然は動じて動ぜざるの相違あり。汝等是等を応用すればすべての原理は明白に知る事を得ん。此理は汝等にはいささかむづかしきに過ぎたれども、他に聴き居る者の為に教へ居るなれば汝等は唯黙して聞くべし。
 大凡空源力の動と云へるは動ぜずして動じ、動じて動ぜざるに依て不撓不屈の働きあり。此作用より総てに通ずるを以て見えざる物を見、聞けざる音をも聴くことをも得らるるなり。是に依て前方に旭光を見ば夕光を即座に背後に映ず。故に過去と未来は同時に知らるるなり。空源力に浴せば過去現在未来は一体なるによりて宗教者の三世論は成立せざるなり。事実絶対自然より観察すれば三世は一体なり。相対より観察して三世は成立す。空源力に浴すれば立体に見んとせば立体に現はれ、平面と思へば平面の答へを得らるると知るべし。
 

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