覚者慈音828  光明論上巻 巻の三  106番  教主寛大講義 頭腹一体の理

覚者慈音828
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の三     
此書の眼目、此教への一大事を説く
  
                  教主寛大 講述
                  2019.2.11
                      第106番


 汝等母の胎に宿りしと思はば頷かるるならん。ここに重点をおくは当然なるべし。神任せとして腹任せとして勇猛心を奮ひ起し、刻苦勉励大業に身を投じて人事を尽さば必ずすべての成就全きを得るなり。とかく老人は短気なりと云ふは即ち腹の力劣へし影響の現はれなり。病人も気の短かきは同様なり。性急の人早合点の人も多くは腹力弱きか、或は智慧に慢ずるかの人なれば、何れたりとも腹任せの修行こそ望ましきなり。因果鏡の理論に於て最も大切なるは正しくして悪き実を結ばせ居る人についてなり。是等に対しては先に感応論などにも亦心霊雑話等にセイキョウ、テツシンが説きたれど。汝等は未だ平面自然より語らずば認識する能はざるを考慮して、彼等は平面自然より教へたり。立体より観察せざれば徹底すること難し。されば第三明鏡の因果の理を明白ならしめん為、是等も併せ教へをかん。
 汝等も屡々見聞したるならん。彼の人は他人にも思ひやり深く、施すべきは施こし救ふべきは救ひ、人の為には我身も顧ず尽し、信仰も厚きよき人なるに斯る不慮の災悪に遭遇するとは世には神仏も無きものかと云へる如き例なり。
 汝等も知る如くものには有限性無限性とのあるは平面自然、立体自然にもあるなり。形を有する故に是に変化を来らしむるのみに属すると、或は是を消滅せしめて更に新らしく組織するとの区別なり。例へば一夜のうちに大海嘯起りて一町一村潰滅して泥海と化し、すべては影を没することもあらん。然して多くの動植物は失はれ眼もあてられぬ惨状を呈す。多くの人の中には善人悪人の区別なく、又老若男女正邪の区別なく水底の藻屑とならん。然して其が救助せられたる時、善人のみが救はれるかと云ふに決して然らず。悪人もあれば老人もあるべし。是有限無限の理より来る現象にして不審するに足らざるなり。善行なすが故に、他人より尊敬さるれば其にて善の実は結ばれ、悪行にて人よりうとまるれば其にて悪の実は結ばれたるなり。汝等よく地味の肥えたる畑に作物を作りて体験せるならん。種々育つるもよく稔ると結果の悪きとありて一様ならざるべし。是を人間の身上について比較し見よ。人間を上田として即ち肥えたる畑を善人として考ふる時、みのりの良否は善人にも善行と悪行の区別あるを以て結果に相違を見るなり。善人なりとて全部の行ひが善なりとは云ひ難し。善なりと思へる事が案外悪行となりて悪き結果を来らす憂なきなり。然るに人は此理を知らずして善人には善行のみなりと考へなば是は大なる誤解なり。神の道には斯く如き相違ある事を人は知らずして善人と云はるれば、神より如何なる危険も救はるると誤認し居るによりて世には神仏も無きものかとの愚痴となりて恨むなり。
 一般汝らが考へ居る善人と思ふ人には平面自然の理に合ふ善人は多くして立体自然に合ふ善人は稀なり。故にその行ひも表面の善にして内面の善行をなし居る者は少なし。さればこそ不慮の災害に遭遇するなり。内面の善行者には決して斯る憂あるものにあらず。例へばここに二人の善人ありて一人は平面善者一人は内面の善者なりとして此両人が道を歩む時、山坂にさしかかりしに折柄山上より顛落し来りたる岩石にて遭難する事ありとせば、平面善者にて、内面善者は一歩違ひか、或は何かの事にて助かる事を得るなり。是決して因縁因果と云ふにあらず。即ち道理あればなり。もとより因縁因果に相違なけれど仏教者の称へる如き因縁因果にはあらずして充分説明の理論を有すればなり。表面の善者は稍もすれば悪行を犯すを以て正して真の善者にあらず。例へば知人を救はんとして他を怒らせなば加減となりて善悪共に零となる如き有労無効の結果となるに等し。内面善者は斯る場合知人他人共に融和せしむるが故に、善行は同時に成功すると云へる相違あるなり。此両人山にかかる以前神通力は危険を告げて避けしめんと注意を与へ居れども両人共に悟らず、いよいよ危ふしと見て神通力の大声は一人には聞え、一人には聞えずして遭難なせるなり。神通力は善悪正邪を嫌はず、危険がなれば是を報じて難を免がれしめんとなし居るなり。故に邪悪の人にも此声を聞きたる者は避難することを得るなり。是は人間界にも人情にて危険なる事を見る時、凡ての人に知らせて難をまぬがれしめんとなすならん。人界に於てすら斯くの如し。まして神通力に於てをや。死せんとする者は重症に止め、重症は軽傷に、軽傷は無傷に止めて救はんと計るは神通力の特性なり。故に是を知れる悪人悪魔は是を逆用して様々の法を行ひて悪事を犯すことを得るなり。さればセイキョウ、テツシンは悪たらんと欲せば大悪たれと迄、極端なる言句を用いしは汝等をして奮起せしめて、大善たらしめんが為の逆言を以て戒めたるなり。我、此罪悪論を説くに先立ち死と傷と又破産運命などと説きしが、是を統括せば不慮の災難と云ふ言詞に尽る事は云ふ迄もなし。汝等にその分類の数々を引用例題として語るは易けれども帰する処の結果は同一なれば、是を省略して結論のみに止むべし。汝等是を諒せよ。

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